シリーズ中心市街地【11】~【14】

シリーズ中心市街地【11】~【14】
2019.1.28

 今回は〈その11〉から〈その14〉までをまとめました。
 
〈その11〉は【番外編①】としました。
【番外編】としたのは、これまでの掲載と違って、僕の考え方イメージ 1をより色濃く反映した記事にしているためです。
 たとえば、その11は「久慈市のショッピングセンター」の集客状況と「中心市街地」の比較をしていますので番外編としました。

 なお、〈その12〉は「田野畑村」のストリート、<その
13>は岩泉町のストリート、<その14>では九戸村のストリートを紹介しています





                              +タイトル下の数字はFacebookに記事掲載した日付け
 シリーズ中心市街地―その11<番外編①>******************
 
 こんなにも集客している!
   ― 久慈の郊外型ショッピングセンター駐車場 -      
                              
                          2018.12.24

 人口約3万5,000人の岩手県久慈市
 写真は久慈市長内町(おさないちょう)の生鮮食品スーパー、ホームセンター、ドラッグストア、紳士服、靴、レストラン、100円ショップなど、チェーン展開する企業の郊外型大型店が集積するエリア。12月23日の15時すぎ。
 いくらクリスマスイブの前日で年末が近い休みの日だからとはいえ、駐車しているクルマの数がすごい。周辺市町村からもきているのだろうがクルマ、クルマ、クルマ…
イメージ 2
 では中心市街地はどうなっているのだろうか?
 クルマで10分もかからない久慈市中心市街地へ移動してみた。いつもと同様、通りを歩いている人は数人しかいない。
  中心市街地の代表的な集客スポットである道の駅「やませ土風館」に行ってみた。駐車場は6、7割ほどうまっていたが、それでもさっきの状況を見てきた目には心もとなく映る。

 前向きに考えるならば、同じまちにあるショッピングセンターがこれだけ多くを集客できるのだから、中心市街地も潜在的な集客ポテンシャルは高いはずだ。
  中心市街地の店舗に買いものに行く人もいるわけで、だからこそ中心市街地で営業している店舗は、シャッター通り化がいくら進んでいようとも営業を継続できているし、ファンだってつかんでいる。にぎわいをつくり出せる可能性はあるのではないか。
   
  加えて言えば、このまま郊外型大型店のみが時代を超えて発展し続けるということはあり得ない、僕はそう思っている。
  なぜならば、これまでもさんざん書いたが、高齢化の波をかぶっていない市町村はいまのところないから(少なくても、これまでとり上げてきた自治体は例外なく高齢化が進んでいる)。

 人口減少と免許返納の時代、この先、運転人口は確実に減っていく。そうなれば地域コミュニティに密着した店舗、つまり徒歩で行ける店舗は必ず必要になる。
  実際に、郊外型大型店をチェーン展開している企業の次なる出店戦略は、地域密着型の小規模店舗をふやすことだとも言われている。すでに首都圏などでそうした戦略をもって店舗展開しはじめているところもあると聞く。
  
  自動運転のクルマが普及すれば、また状況は変わる・・・?
  
  いずれにせよ現時点では、地方の状況を典型的に映しだしているのがこの写真であると思うし、当然ながら久慈の現実(リアル)だ。
  この状況がいいとか悪いとか言いたいのではない。今後、私たちは日本の地方を、久慈をどのようにしていきたいのか?
  これからのまちのありかたを真剣に考えるべきときがきていると思う。



 シリーズ中心市街地―その12**********************
 
   夢を語れる村へ
     - 3437人の田野畑村 中心市街地 -

                                2018.12.27

 岩手県沿岸北部に位置する田野畑村(たのはたむら)、南と西は岩泉町(いわいずみちょう)に、北は普代村(ふだいむら)に接している。
「カンパネルラ」田野畑駅、「カルボナード」島越(しまのこし)駅は、宮沢賢治の童話にでてくるファンタジックな響きをもつ言葉を使って名づけられた三陸鉄道の駅だ。
 イメージ 3 
  リアス式海岸を代表する風景としてよくグラビアなどで紹介される「北山崎」(きたやまざき)があり、200メートル前後の絶壁が海に落ち込む「鵜の巣断崖」(うのすだんがい)がある。
 それまで90万人から100万人の範囲を推移していた村の観光入込数は、東日本大震災平成23年に5万7,000人と大きく落ち込んだ。しかし近年は、平成28年48万8,000人、平成29年41万2,000人と回復基調にある。
 「鵜の巣断崖と北山崎の合計数がこの入込数で、そのうちの9割が北山崎のものです」と田野畑村役場で教えてもらった。
  
  田野畑村は食のブランド化も積極的に推し進めている。
  村の牛から絞った生乳を村内のミルクプラントで加工した、味の濃い「たのはた牛乳」や「ヨーグルト」「アイスクリーム」「ジェラート」などは全国にファンをもつ岩手を代表する乳製品の一つになっている。

 さて村の中心市街地は、役場のある田野畑地区を北端に国道45号を南へ約1.5キロ下った田野畑中学校あたりまでのエリア。菅窪(すげのくぼ)地区と和野(わの)地区が道の両側に広がり、このエリアに商店と住宅が集まっている。

 通りには、ガソリンスタンド、床屋、郵便局、JA、肉屋、喫茶店、すし屋、食品や雑貨を扱う店、食堂、食品スーパー、交番、薬と雑貨を扱う店……などなど。この中心市街地は、店舗が「集積している」と言うよりはむしろ「点在している」と表現したほうが実際をイメージしやすいかもしれない。

 村の現在人口は3,437人(平成30年12月1日)。
 昭和40年は6,159人、平成7年に4,806人と5,000人をわり込み、平成22年には3,843人と3,000人台に突入した。この村もやはり少子高齢化と過疎化の課題に直面している。

「本村の最大の課題は、過疎に耐え抜きながら、(東日本大震災からの)復旧・復興を成し遂げ『新生たのはた』を創造することであります」という村長の言葉が村勢要覧に掲載されている。東日本大震災では39人の犠牲者と数百人の避難者がでたという。

 観光事業では小型船で沿岸をクルージングする「サッパ船アドベンチャーズ」などの体験型観光プログラムが提供されるようになっている。
 「沿岸部だけでなく、内陸や山間部を舞台にした体験型観光メニューを開発しながら、海と山の産業が一体となって第6次産業を創出し、働きがいのある村、夢を語れる村を目指して、田野畑村は動き出しています」(村勢要覧)と力強く前を向く言葉が印象的だ。


 シリーズ中心市街地―その13**********************
 
 龍泉洞のまちの
   レトロモダンなストリート

    - 岩泉町 うれいら通り商店街 -
                          2018.12.30
 
 岩手県の岩泉町(いわいずみちょう)は面積約992㎢、本州でいちばん広い町。
 北上山地の東部に位置していて、西は盛岡市に接しイメージ 4、東の小本((おもと)地区は三陸の海に臨んでいる。境を接している自治体を12時方向から時計回りに書きだしてみると、久慈市、野田村、普代村田野畑村宮古市盛岡市葛巻町の3市1町3村。
 人口は9,425人・4,466世帯(平成30年11月30日現在)、町は6つの地区から構成されている。
  
  町の北部にある①「安家(あっか)地区」、日本一長い23.7kmの鍾乳洞の「安家洞」がある。
  ②「岩泉地区」には宇霊羅山(うれいらさん)と清水川(しずがわ)があり、日本三大鍾乳洞の一つ「龍泉洞」(りゅうせんどう)は全国的に有名だ。ドラゴンブルーと呼ばれる圧倒的な透明度を誇る龍泉洞の地底湖の水は、まさに見る人を圧倒する。 
  町の東南部に位置する③「有芸(うげい)地区」、海辺の暮らしがある④「小本地区」、北上山系の中にある面積320?の⑤「大川(おおかわ)地区」、西の玄関口⑥「小川(こがわ)地区」はかつて石炭や耐火粘土を採掘する炭鉱のあった場所。「炭鉱ホルモン」は現在も小川のソウルフードとして人気がある。

 平成30年2月発行の「岩泉町観光振興計画(平成29年度~平成31年度)」によると、平成28年度の交流人口は41万4,525人(観光入込数30万1,384人および龍泉洞入洞者数11万3,141人)で、平成31年度目標には70万人(観光入込数50万人および龍泉洞入洞者数20万人)を掲げている。

  同計画書には「岩泉町の大きな観光資源である龍泉洞の入洞者数は、最盛期は約47 万人(昭和60 年度)で年々減少傾向にあり、特にも平成23 年度は東日本大震災の影響により6万2,000 人に落ち込み、平成28年は台風第10 号の豪雨災害の被害により11 万1,000 人に落ち込んだ」とも書かれている。

  龍泉洞の入洞者数は近年どのくらいで推移していたのか?と調べたら、平成26年17万8,000人、平成27年17万4,000人となっており、おおむね18万人くらいと理解すればいいだろう。
 さて、この町の中心エリアは役場などが置かれている「岩泉地区」で、岩泉地区のなかでも国道455号の南側に並行する約500mの「うれいら通り」がメインストリート(中心市街地)だ。その名も「うれいら通り商店街」と言う。
 なお、通りの名前は宇霊羅山にちなんでつけられていて、「うれいら」とはアイヌ語で「霧のかかる峰」のことだそうだ。

  この商店街の若者や後継ぎたちが、年間約18万人を集めている龍泉洞の来場者もひきつけようと、新商品の開発や販売などに取り組んだ商店街活性化プロジェクト「うれいら商店街のっとり計画」なども近年、数回行なわれた。「のっとり計画」というユニークなネーミングが記憶に残っている人もいるかもしれない。

 12月29日、日没まで通りを歩いてみた。
 旅館、CDショップ、クリーニング店、北日本銀行、スーパー、りんご直売店お好み焼き屋、米屋、佛具店、本屋、布団店、洋品店、和洋菓子店、文具店、カフェ、木工や陶器・竹細工などイメージ 5のクラフトの店、パン専門店、造り酒屋、ホルモンやジンギスカンなどを扱う精肉店岩手銀行、手芸用品店、製麺
所、美容室…など。通りの中ほどに「恋人の聖地 初恋水・百恋水」のプレートが架けられた小さな親水公園があった。はっこい・ひゃっこいは「冷たい」という当地の方言。

 岩泉町は藩政時代、三陸沿岸と城下町盛岡を結ぶ小本街道の宿場町として栄えたまちなのだそうだ。うれいら通りはまさにその中心部であり、明治時代の洋館風建築や酒蔵があり、昭和のなつかしさが漂う軒の低い店がある。レトロモダンな佇まいを見せる通りはノスタルジックな雰囲気に包まれていた。

 *写真2枚は「うれいら通り商店街」(12月29日17時撮影)。「うれいら」とはアイヌ語で「霧のかかる峰」のこと。


 シリーズ中心市街地-その14**********************
 
   九戸村のメインストリート
        ― カシオペア座のように輝け ―
                                                          2019.1.4

 
 岩手県の北部に位置する九戸村(くのへむら)。1955年、江刺家(えさしか) 、伊保内(いぼない) 、戸田(とだ)の3村が合併して成立。盛岡市青森県八戸市のほぼ中間地点にある九戸村は、盛岡市まで高速道利用で1時間10分、八戸市まで高速道利用で30分、東北新幹線駅のある二戸(にのへ)市までクルマで20分、僕の住む久慈市までクルマで40分の距離にある。村にはナイター設備のある村営スキー場もある。イメージ 6

 2018年12月1日現在の人口は5,803人(2,163世帯)。
 村の中心地区は伊保内で、メインストリート(中心市街地)は村を南北に流れる瀬月内川(せつきないがわ)に並行して走る国道340号沿いの1kmほど。
 役場や公民館、JA、地場産品を販売するまちの駅「まさざね館」がある。精肉店があり、旅館があり、洋服店があり、仕出し屋、菓子店、美容室、寿司屋、酒屋、クリーニング店、葬儀店、銀行、信用金庫、電器店、コンビニなどがある。
 
 九戸村浄法寺町(じょうほうじまち。2006年二戸市と合併)、一戸町(いちのへまち)、二戸市、軽米町(かるまいまち)と「カシオペア連邦」という連携を組んでいる。「5市町村(設立当時)を点と線でつなぐとカシオペア座のWの形になることから、これらの市町村のつながりを深めようと名づけられたものなんです」と九戸村の「道の駅おりつめ・オドデ館」で聞いた。

 地平線に沈むことなく北の空に一年中きらめいているカシオペア座、美しい響きをもつカシオペア連邦という秀逸なネーミング、岩手の北部エリアがいっそう輝きますように    
           *写真は九戸村のメインストリート、2019年1月3日16時撮影


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー      (記事/写真・宇部芳彦)