働く価値観が変わる!-AIとベーシックインカムー

働く価値観が変わる! イメージ 1
 - AIとベーシックインカム

 

                        2019.2.2


 みなさんは「ベーシックインカム」という言葉を知っていますか?
  ベーシックインカムとは、国家が年齢や性別を問わずすべての国民に、無条件で一定のお金を配当することなのだと言います。
  具体的に説明すると、老若男女に関わらず誰にでも無条件で、1人あたり1か月にたとえば7万円とか(金額はあくまでも『たとえば』です)支給される制度のこと。

ベーシックインカムはみな平等だけれども、自分で稼いだお金は自分のものになる」とも言います。つまり、入ってくるお金は「ベーシックインカム」と「仕事で稼いだお金」の2本立てになるわけです。

 現在、ベーシックインカムを導入している国はないとのことですが、欧州などで導入の検討を進めている国が数か国あるそうです。
 なぜ、ベーシックインカムの導入を検討しているのか?
生活保護などのお金の支給に際して、行政は複雑で厳しい審査をして支給する人を選定しますが、もらうべき人がもらえなかったりするような不平等が起こってしまうケースもある。一律、全員に支給すれば平等であり、支給する側(行政)の煩雑さも回避できる」というのです。つまり、現行の複雑な社会保障制度とくらべてメリットが大きいと考えているわけです。

 そして、今後は「働く価値観が変わる」のだと言います。
  生活していく最低限の収入があるということになるので「食うために働く」のではなくなる。「ベーシックインカムそしてAIは仕事観、価値観を変える」と。

 昨今、AI(人工知能)は急速に進化しています。すでに産業用ロボットなどは稼働して久しいですし、クルマの自動運転の実現も目前に迫っています。
  AIの入ったロボットが労働をする時代が本格化するわけで、AIができることを人間がやる必要はないし、AIと張り合ってみても非効率で意味がないわけです。
 今後はやりたかった仕事、アートだとかクリエイティビティ(創造性)を発揮するような仕事、趣味を活かす仕事、あるいは心をもって人のお世話をするような仕事だとかボランティア活動によって得る報酬とか、むしろこれまで金にならなかったから「やらなかった」あるいは「やれなかった」仕事をする時代になると言います。

 と言うか、創造性を発揮して生み出すサービスや発明品(製品)などでしか金を稼ぐすべはなくなるのではないかと僕も思います。
 イメージ 2 なぜならば、それ以外のモノはAIロボットが疲れ知らずで効率よく生産するから。もっと言えば、AI(人口知能)には学習能力があるのでサービスの分野であっても、マニュアル通りの生半可な動きをする人間よりもよほど使い勝手がある。
  だからこそ、本当に「やりたいこと」で熱い思いをもって「クリエイティビティ」を発揮していかなければ立ち行かなくなると思うのです。

 小さかったころまさかの技術だった「携帯電話」はあっという間に世界中に浸透しました。AIも同じこと、技術はいきなり進みます。ベーシックインカムもその有用性がひとたび認められれば急速に世界中の国々に拡がるはずです。

 いや、ベーシックインカムが拡がらなくてもAIの世の中になった以上、私たちの仕事に対する価値観は前述の方向に「変わらなければいけない」と僕は思っているのですが‥‥あなたはどう考えますか?

                             (文/写真・宇部芳彦)



シリーズ中心市街地【19】~【21】

シリーズ中心市街地【19】~【21】
2019.1.29

 今回は<19・青森県五戸町>と<20・青森県三戸町>、そして<21・岩手県山田町>のメインストリートの記事を掲載します。
イメージ 12
 2018年12月11日に「岩手県久慈市」の中心市街地の記事をフェイスブックに掲載しはじめてから、2019年1月23日の「山田町」まで21本の記事を掲載しました。

 いつのまにか、21回も書いている!と自分でもびっくりしました。もちろん今後も継続していく予定です。

  最初のころにくらべると文量が多くなっています。それだけまちの姿が具体的に浮かび上がってきているのではないかと思っています。

 
 五戸町ではお店に飛び込んで話を聞きました。通りの雪が輝いていました。

 三戸町では「三戸街歩き奉行所」のガイドさんに詳しくまちのようす聞かせていただき、記事はこれまでになく高い評価をいただくことができました。今日2019年1月29日でもまだフェイスブックの「いいね!」がふえています。本当にありがとうございます。

 山田町のメインストリートは東日本大震災のあと復興した通りでした。山田湾は本当に青くきれいでした。


                                                   +タイトル下の数字は記事をfacebookに掲載した日付け
 シリーズ中心市街地―その19************************ 
  
   雪で彩られる坂のまち
  ― 五戸のメインストリート ―
         イメージ 1   2019.1.13

 青森県三戸郡五戸町(さんのへぐんごのへまち)。
 太平洋沿岸の八戸市と内陸にある十和田市の間に位置する五戸は、東西が20.7km、南北が18.6kmと東西方向に長い楕円形のまち。]

 このシリーズの「その16」(1月7日掲載)で、1から9まで「戸」の字がつくまちがあることを紹介したが、そのうちの一つである「五戸はどんなところ?」なのだろう。

 五戸は八戸のとなり町、八戸駅からクルマで約20分、それほど遠くはない。
 さて、五戸町の人口は1万7,333人・7,048世帯(2018年12月1日現在)。

 中心市街地は県道113号に沿った東西約800mのストリートで、五戸町役場もここから数分の距離にある。
 主要産業は農業でニンニクや長芋、リンゴ、さくらんぼなど。また、名馬の産地を象徴する「戸」がつく町だけあってか「馬肉と言えば五戸」と言われるほどの特産品であり観光資源としても大切にされているという。馬肉は別名「桜肉」(さくらにく)とも呼ばれ、刺身や焼き肉、しゃぶしゃぶなども人気がある。

 通りを歩いてみよう。呉服屋、菓子屋、暖房器具などを販売するガス店、理容室、コンビニ、信用金庫、時計店・洋服店・履物店、銀行、スポーツ用品店金物店、雑貨店、タバコ・切手・印紙などを扱う店、歯科医、神具・仏具店、食料品店、化粧品・日用品の店、履物店、精肉店、カメラ屋、割烹、食堂、郵便局、美容院、酒屋、焼き魚の店、寝具店、書店、食品スーパー‥‥などがある。

 店に飛び込んで聞いてみた。
 「この通りはかつて奥州街道で、宿場町として栄えたんです。履物屋が多いのもそのなごりなのだと思います。この通りの商店街は2つで、上大町(かみおおまち)商店街、中央商店街と言います」

 重ねてこう説明してくれた。
 「五戸は坂のまち。ここの人々は昔、平地に田んぼを作り、高台に家を作りました。だから、人がいる場所は坂になっているわけです。この通りも坂が多いですよね」

 坂のまちのメインストリートは、光を反射する白い雪でくっきりと彩られていた。



 シリーズ中心市街地― その20***********************
 
    ねこのまち三戸の楽しいストリート
  ―  親しみやすさと歴史遺産が同居する ―                                          2019.1.19

 青森県三戸町(さんのへまち)は岩手県二戸市の北に位置していて、町の中央を国道4号線が縦断している。2018年12月31日現在の人口は1万101人・4,299世帯。イメージ 13

  戦国時代には北東北一帯を支配していた三戸南部氏の居城「三戸城」が築かれ、江戸時代には日本橋から津軽半島先端の三厩(みんまや)、そして北海道の函館まで続いた奥州街道(おうしゅうかいどう)が通っていたまち。

 現在の三戸の中心市街地(メインストリート=上写真)は旧国道4号沿いで、北は住谷橋(すみやばし)から南は三戸警察署までの約2.5キロ、ここはもともと奥州街道だったストリートだ。

 歴史的に栄えてきたこの通りには、1410年に建てられた観福寺(かんぷくじ)をはじめ江戸時代と近代に奉納された大絵馬をイメージ 2多数展示している三戸大神宮(=右写真)など由緒ある数多くの寺社が建ち並んでいる。

「寺社のほかにもぜひ見てほしいのは国登録文化財の佐滝(さたき)本店・別邸、また富田歯科医院跡(とみたしかいいんあと=左下写真)など。郵便局、それからねこの石像も」と笑顔で話してくれたのは「三戸街歩き奉行所」のガイドを務めている河原木(かわらぎ)まゆみさん。
  佐滝本店・別邸は大正14年に建てられた県内最古級のコンクリート建造物、また、富田歯科医院跡も大正末に建てられた旧第九十銀行三戸支店なのだそうだ。

 なお、「三戸街歩イメージ 3奉行所」は三戸町観光協会のなかにあり、ガイドさんたちが事前申し込みを受けてお客さんといっしょに約1時間30分まちなかを歩き案内している。 「私たちがご案内させていただいているのは年400人から500人くらい、近年はどんどんふえてきています」(河原木さん)

 街歩きファンがふえている、郵便局?・・・
 三戸町は漫画家の「馬場のぼる」さん(1927~2001年)の出身地なのだそうだ。1967(昭和42)年、馬場さんは絵本「11ぴきのねこ」(こぐま社)を出版して瞬く間に全国的人気を博した。以後「11ぴきのねこ」絵本はシリーズ化され、1967年の初版から29年間で6冊刊行されている。イメージ 5

 役場では「11ぴきのねこ」による地域振興に2001(平成13)年から取り組んでいる。
 「11ぴきのねこのまちづくり事業と言います。当初は絵本を使った小中学校での読み聞かせや、赤ちゃんが生まれたときに絵本をプレゼントしたりしていました。現在は、ねこの石像を中心市街地に6体、道の駅さんのへに1体、合計7体設置しています。今年度末までにあと2体ふやし、来年度末までにさらに2体ふやして合計11体にします。もちろんこれは地域活性化、交流人口拡大のために行なっている事業です。とても親しみやすいと好評です」(三戸町役場・まちづくり推進課)
 
 ちなみに、ふるさと納税をしてくれた人に意向を聞くと約半数が「11ぴきのねこによるまちづくりに私たちの寄付を使ってほしい」という答えを返してくるという。

  三戸郵便局を訪ねてみた。橋本(はしもと)郵便局長(=写真左下)が応対してくれた。
  同郵便局の「11ぴきのねこイメージ 4の取り組みはたとえば、ねこの記念切手の販売、十二支に無理矢理?ねこ年を入れたお年玉付き年賀はがきの発売、11ぴきのねこ食器セットや弁当箱など三戸郵便局企画商品(=写真右上)の販売、ねこ局員が勤務する「ミャンのへ郵便局」としての開局(毎月第3日曜日)などで、全国からの来客があると言う。


 僕は橋本局長から「にゃん定書」をもらった。
  ~あなたは馬場のぼる作品表示のねこポストをひたすらに探し、いくたの困難をクリアし、1箇所のねこポストを自撮りしたことをここににゃん定【人間語で認定】するにゃご。2019年1月18日~と書かれていた。
 「ねこポスト」は三戸町内に30か所、またこのシリーズ中心市街地<その19>(1月13日掲載)で紹介した五戸(ごのへ)町内にも1か所、合計31か所設けられているとのこと。

「食べ物だって三戸独自のものがあります。『きんかもち』というのは餃子の大きなものと考えれば近いんですが、小麦粉を練って、クイメージ 11ルミ入りのサトウと黒ゴマの餡を包んで茹で上げます。それからエゴマが入っている三戸せんべい、これは南部せんべいの一種ですけれども薄くてサクサクした食感が特徴です」と前出の河原木さん。

 何とも楽しい街歩きができる三戸の中心市街地、ポケットパークでは、ねこの石像がライトアップされていた。


*写真1枚目:三戸のメインストリートは旧国道4号沿い約2.5キロ。
*写真2枚目:三戸大神宮
*写真3枚目:富田歯科医院跡。大正末に旧第九十銀行三戸支店として建てられた建物。
*写真4枚目:三戸郵便局の企画商品。
*写真4枚目:三戸郵便局前の「ねこポスト」と橋本郵便局長。
*写真5枚目:メインストリートの中ほどにあるポケットパークでライトアップされていたねこの石像、1月18日17時45分撮影。


 シリーズ中心市街地―その21***********************
 
   明日へと歩む山田町のメインストリート
                                                                            2019.1.23
      

 岩手県沿岸部・陸中海岸のほぼ中央に位置する山田町(やまだまち)。2019 年1月1日現在の人口は1万5,665人・6,615世帯。北は宮古市(みやこし)、南は大槌町(おおつちちょう)と接している。

  僕の住む久慈市と同じく岩手県の沿岸部にある山田町。何回か通り過ぎてはいるのだが、町をじっくりと眺めるのは今回がはじめてだ。
イメージ 6
 町の入り口に着いた。国道45号のすぐ数十メール脇に湖のように穏やかな海が広がっている。カキ、ホタテの「養殖いかだ」がたくさん浮かんでいる。海面の高さはクルマの運転席にいる僕の目の高さとさほど変わらないように見える。山田湾は本当にやわらかく青く輝いていて、きれいな風景だなと思う(=右写真)。

 山田湾と並行して国道45号が南北に走っている。
 「宝来橋(ほうらいばし)から南へ約1kmの国道45号沿いが中心市街地です」と教えてもらった。

イメージ 7  町役場はこの1kmのほぼ中ほどの位置にある。役場の位置を厳密に書くならば中ほどにある交差点の側道を100mほど内陸側に入ったところなのだが、中心市街地(=写真左)は「役場を中心にして国道45号線の南と北それぞれに500mずつ、計1kmの範囲」とイメージすればわかりやすい。


 海が本当に近い。だから、3.11東日本大震災で町は壊滅的な被害を受けた。役場からもらった資料には、死亡者数824人(平成30年11月9日現在)、行方不明者数1人、遺体収容者数604体(平成25年3月31日、宮古警察署発表)‥‥目をふさぎたくなるような数字がいくつも並んでいる。

  役場も1階の天井まで水没した。
 「津波のあと火事が起きて役場の前の通りはなにもなくなりました。3月ですから寒いはずですが、火で通りが暖かくなるほどで…」(役場の広報担当職員)
 今年3月23日に三陸鉄道に移管され「リアス線イメージ 8」として開通する「陸中山田駅」の新しい駅舎(=右写真)が役場のすぐ近くにあった。
  町の人によると「駅舎が完成したのは昨年の12月下旬」とのこと、駅の位置は震災前から変わっていないそうだ。陸中山田駅はオランダ風車をイメージした外観だという。

 ストリートの状況を聞いてみた。
 「現在の国道45号線は震災前にくらべると、少し内陸側に移動させています。それから災害公営住宅、山田中央団地と言うのですがこれを3棟、45号沿いに整備しました。あと陸中山田駅のそばには小中高生世代の居場所と図書館機能を併せもった『山田町ふれあいセンターはぴね』なども整備しています」(役場職員)

 では、震災前後で45号沿いの商店の状況はどう違っているのか?
 震災前の住宅地図を見せてくれた。1kmの範囲、すなわちメインストリートには50をゆうに超える商店名が書き込まれていた。現在、新しくなった商店街など新たにしたこの通りに出店しているのは震災前の半数くらいなのではないか? イメージ 10
  もちろん、この通り以外に新たな場所を探して出店している人もいると言うからくらべようがないのだけれど…、いずれにしても大きな財産を流出・焼失したことに間違いはない。

 さて、現在のメインストリート沿いの商店街を書き出してみる。「山田うみねこ商店街」はペットトリマー、ケーキ屋、駄菓子屋、書店、スナック、風呂を備えた宿泊施設「湯らっくす」、美容室、文具店などが集まっているエリア。前述した陸中山田駅と、そして陸中山田駅の前面には地元大型スーパー「びはん」(=写真上があり、びはんの横の通りをはさんで金融機関などがある。

  イメージ 9もう一つは「新生(しんせい)やまだ商店街」(=左写真)、役場の前面の45号沿いにセブンイレブン、花屋、ラーメン、床屋、写真屋、タクシー、飲食店など9つの店舗が集積している。また「川向(かわむかい)商店街」にはスナック、焼き肉屋、衣料品店などがあり、加えて昔からのビルもあってカラオケ店やスナックなどが入っている。

「広報やまだ」2018年4月1日号をもらった。「復興計画は発展期へ」とタイトルされた巻頭稿には「陸中山田駅前の中心市街地エリアでは、戸建て店舗や飲食店、各金融機関がほぼ立ち並び、震災以前のにぎわいをとりもどしつつあります」と記されている。

 にぎわいをあと押しする柱の一つに観光がある。
 「がんばる商店主による震災語り部」として『被災地ガイド&まち歩き』があり『語り部タクシー』があり『復興まち歩きつまみ食いツアー』がある。山田湾では「クルーズ」や「養殖いかだ見学」があり「シーカヤック体験」などがある。「いかさばき&いか焼き体験」など特産グルメの手づくり体験などもある。以上はすべて震災後につくったプログラムなのだと言う。

「未来の山田に夢をもち続けたいと思います」と広報やまだは書く。そう、これからは明日を見つめて歩みを進めていく、ここはそんな町のメインストリートだ。
                                    
*写真は5枚とも2019年1月22日に撮影。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(記事/写真・宇部芳彦)

シリーズ中心市街地【15】~【18】

シリーズ中心市街地【15】~【18】
2019.1.29


 今回は「その15」で岩手県「一戸町」をレポートし、「その16番外編②」では「戸」(へ)の字のつく市町村を上げて理由を解説し、「その17」では僕の「思い出のストリート」を書き込み、「その18」では宮古市のメインストリートとともに駅の南側の拠点の完成を伝えています。
イメージ 1
 一戸の取材のときには、大雪が降ってきて「ちゃんと取材ができるのだろうか?」と不安になりました。でも、偶然に出会った地元の書店の店主さんが「萬代舘」という歴史あるレトロな映画館に案内してくれました。
 おかげで一戸のようすを立体的に伝えることができ、いまでもとても感謝しています。この一戸の記事を境にして、それまで1枚だけ掲載すると決めていた写真を複数枚掲載するようになりました。
 
 また、宇部町の原稿は僕のノスタルジーだらけになってしまい対象との距離感がわからなくなってしまうと思って記事にするのをためらっていました。自分の独り言にならないかと‥‥。でも「それでいいんじゃない」という声をある人からいただいたので安心して書き込みました。

 宮古市の取材では、写真を撮ったあとで市役所に行きました。時間は18時を少しすぎていました。パンフレットがあれば持って帰ろうかなというくらいの気持ちだったのですが、職員のかたが広報誌や市勢要覧のダイジェスト版を持たせてくれてうれしかったことを覚えています。

 以上、取材のときの状況や思いを少し書いてみました。すべての記事は取材してから24時間以内に書いています。だから、もしかするとこれらの思いも記事に滲みだしているかもしれません。


                                                                                +タイトル下の数字は記事をfacebookに初載した日付け
 シリーズ中心市街地―その15************************

 文化レトロな街並みにイメージ 2
 現代的な光がとけこむ
  ~ 一戸町のメインストリート ~

                                  2019.1.6
 
 
 岩手県の内陸北部にある一戸町(いちのへまち)。

 一戸の由来は諸説あるが平安末期からの地名で、名馬の産地として有名だったという。現在の一戸町は1957年、一戸町、浪打(なみうち)村、鳥海(ちょうかい)村、小鳥谷(こずや)村、姉帯(あねたい)村の1町4村が合併し誕生した。

 一戸町にある「奥中山高原」(おくなかやまこうげん)はスキー場や温泉、遊びの広場などがあり多くの観光客が集まる人気スポット、4500年前の縄文中期の人々が暮らした村へタイムトリップできる「御所野遺跡」(ごしょのいせき)もよく知られている。

 一戸町の現在人口は1万2,576人・5,736世帯(2018年12月1日現在)。
 商店などが集積するメインストリート(中心市街地)は、県道210号から続く県道274号(旧国道4号)沿いの南北約1.5kmの範囲。なお、一戸町役場は210号沿いで、274号からもアクセス可能、IGRいわて銀河鉄道「一戸駅」手前の脇道を入って百メートルほどの位置になる。

 メインストリートを歩イメージ 3いて見る。
 萬代橋(ばんだいばし)のたもとにある「萬代舘」(ばんだいかん=写真左)は、映画ファンやレトロ建築が好きな人にはたまらない施設。
 同館は1909(明治42)年に蔵を改造して人形芝居小屋としてオープン、現在の建物は映画が大衆娯楽として絶頂期を迎えていた1956(昭和31)年に建築された現役の映画専用館。2008年3月に所有者から町に寄付され改修が行われ、映画や演劇、講演会、催事などの用途で使われたり貸し出されたりしている。通りのなかほどにあった書店の店主が「せっかく遠くからきたのだから建物も建物のなかも見て行ってください」と案内してくれた。

 そのほかランダムに書き出してみると、食品店があり、家庭用雑貨を売る荒物屋があり、洋品店があり、スポーツ店があり、時計店、酒屋、花屋、内科、クリーニング店、美容院、薬局、釣り具やプラモデルなどを扱っているホビー系の店、郵便局、電器店、メガネ店、米屋、信用金庫、岩手銀行東北銀行、眼科‥‥など。一戸駅にはコンビニがビルトインしている。イメージ 5

 通りで雪かきをしていた人に聞いてみた。
 「一戸はかつて3万人に迫る人口があった…そんな頃もあったのです。そのときはいよいよ市に!と期待したものですよ…」
  

  写真を撮っている途中、景色がかすむほど雪が降ってきた。雪が描き出す幻想的な風景がそこにあった。
 文化レトロな街並みに現代的な光がとけこんでいた。



 シリーズ中心市街地―その16<番外編②>***************
 
 四戸はないのですか?
       ~ 1から9まで並ぶ地名 ~ 
                                                             2019.1.7


 これまで、中心市街地を紹介してきた自治体の名前に「戸」の文字がついているケースが多いことにみなさんは気がついていると思います。

  岩手県には一戸町(いちのへまち)、二戸市(にのへし)、九戸村(くのへむら)があります。青森県には三戸町(さんのへまち)、五戸町(ごのへまち)、六戸町(ろくのへまち)、七戸町(しちのへまち)、八戸市(はちのへし)があります。
 県を取り払って順番に整理しなおすと、一戸、二戸、三戸、五戸、六戸、七戸、八戸、九戸となり、1~9までの数字が並びます。

 「ちょっと待った!」と言うあなたは鋭い、そう「4」が抜けています。
 あなたのように鋭い人がいたので、調べて写真を撮ってきました。

 「戸」の地名はいつできたの、「戸」の意味は?

 二戸地区広域商工観光推進協議会が編集・発行している「岩手のてっぺんVol.1ふしぎ発見」という小冊子によれば、「戸」の地名がいつできたかについては諸説あっていまだに結論はでていないそうです。
  ただし「鎌倉幕府の正史イメージ 4である吾妻鑑(あずまかがみ)の文治6年(1190年)の項に、陸奥の『戸』で産出した馬を指す『戸立』(へだち)という言葉がでてくることから鎌倉時代初期には成立していたと考えられています」と書かれています。
  

  同書ではまた「戸」の意味を、東北古代史研究の第一人者である高橋富雄氏の説を引いて紹介しています。それによると当地域は古来名馬の産地として知られていて、馬を年貢として納めるための個別経営体として「馬戸」(うまへ)を設置したとのこと。馬戸の集落を「馬戸村」と呼び、それが「一戸」や「二戸」に移行したというのです。

 さて、4はないのでしょうか?
  結論から言いますと「四戸」(しのへ)はありました。
  八戸市の西部にある「櫛引八幡宮」(くしびきはちまんぐう)という鎌倉時代からの神社は「四戸八幡宮」と呼ばれ、この地域を支配した櫛引(くしびき)氏は「四戸殿」と呼ばれていたとのこと。櫛引八幡宮周辺や旧福地村(現南部町)また旧南郷村(現八戸市)などの一帯が四戸だったと考えられているそうです。
 というわけで、北岩手そして青森県南東部の地域は名馬の産地だったことがわかりました。

 僕らが住んでいる場所は名馬の地、きっとほかにも全国に誇るべきさまざまな文化が花開いていたんだろうな……そんなプライドをくすぐられるような思いがシャッターを押しているときに湧いてきて、少しだけ暖かくなりました。

 *右上の写真は八戸市にある櫛引八幡宮、いまは残っていない四戸の拠点。2019年1月6日19時に撮影


 シリーズ中心市街地―その17<番外編③>***************
  
     心の中のストリートは輝いていますか?
                       2019.1.10
   
  写真は岩手県久慈市宇部町(うべちょう)のメインストリート。
  これまではたとえばA市の中心市街地、B町のメインストリート、あるいはC村の中央部の商店街といったようなレポートでしたが今回は、久慈市宇部町という市のなかの一つの地域のストリートをとり上げます。
イメージ 6
 なぜ、今回は少しニュアンスが違うとり上げかたにしたの?という問いに答えるならば、ある人の言葉に触発されたから。
「私は宇部さんがレポートしてくれた町に遠くから嫁いできました。ほかにレポートしてくれている近くの市町村も、私からすればまったく知らない場所ですから宇部さんの記事はとても参考になります‥‥」と言ってくださったのです。

 僕は「あっ」と思いました。この人のようになじみのない場所で暮らしている人は多いだろうから、参考になると読んでくれるのはとてもうれしいこと。そして、その人たちはいま住んでいるまちのほかにも、それぞれが心の中に「思い出のストリート」「大切なストリート」をもっている。

  だから「思い出のストリート」「大切なストリート」をとり上げることで、どこかあたたかい気持ちになってもらえたらいいなと思ったのです。

 というわけで今回はイレギュラーになりますが、その事例として久慈市のなかの宇部町をとり上げることにしました。なぜなら僕は宇部町の出身で、宇部町の通りは僕の「思い出のストリート」であり「大切なストリート」だから。

 僕は宇部町で生まれ、高校を卒業して東京へ出ました。18年間住んだまちです。数年前に戻ってきていまは久慈市の中心部近くに住んでいるので宇部町には住んでいません。宇部町は何回も通っているのですが、クルマを降りて歩いたのは戻ってきてから今回がはじめてです。でも僕のふるさとは宇部町、その思いはまったく揺るぎません。

 なぜ素通りしていたのか‥‥物事をほとんど知らなかったのにわかったふりをして偉そうに通りを歩いていた中高生時代、東京へ出るときにいまはもう亡くなった母といっしょに手を合わせた丹内神社(たんないじんじゃ=左下写真)など、数々の出来事があった場所だから。どうにも気後れして自分の青春時代と直面する気になれなかったのです。この気持ちというか感覚は、おそらくわかっていただけるのではないかと思います。

 さて、現在イメージ 7久慈市全体の人口は約3万5,000人、そのうち宇部町の人口は約3,000人です。このシリーズで以前紹介した普代村(ふだいむら)よりも数百人、人口は多いのです。
  
  ただし、宇部町は「じぇじぇじぇ!」の言葉で有名な小袖(こそで)地区や久喜(くき)地区、三崎(みさき)地区など海沿いの地域と、海よりは少し内陸側を走っている国道45号沿いの地域から構成されています。海沿いの地域には小中学校も宇部小、宇部中とは別にあります。

 海沿い地域の人口は約1,500人ですから、国道45号の通りは、宇部町全体の人口3,000人から海沿いの地域の人口約1,500人をのぞいた約1,500人がつくりだしているストリートだと考えてください。

 久慈市の中心部から国道45号を約7キロ南下したところにある宇部町のメインストリート(=この記事の1枚目に掲載した写真。右上)は、国道45号の南北約1キロの範囲に商店などが並んでいます。三陸鉄道陸中宇部駅も、通りの途中の脇道を少し入ったところにあります。

 45号沿いの商店を書き出してみると、ミカンなどの果物やタバコなどを扱う小さな店、布団・洋品店、家庭用雑貨などの全般を扱う荒物屋、日本酒「福来」(ふくらい)の販売店醸造所、食品の店、小さな雑貨店、ガソリンスタンドなどがあります。生鮮食品スイメージ 9ーパー(=左写真)もあります。実はスーパー以外の上記の店は、僕が住んでいたころにもあった店で、扱う品数は縮小しているようですが、それらの店舗が現在も続いているのです。

 昔話をするのかと言われそうですが、僕が18歳までのころにあった上記以外の店も思い出しながら追記してみます。
  和菓子屋があり、クリスマスのころにはケーキもつくっていました。魚屋はいつもにぎわっていて、夕方になると店頭で魚を焼いて通りにいい匂いを漂わせていました。床屋が2軒もありました。ラーメン屋もあり町の人たちがよく「絶対にうまいから」とほかからきた人たちに自慢していました。

 記憶は美化されると言います。イメージ 8
 僕は「こんなにすごかったんだよ」と強調して記憶を語ってみたわけですが実際のところ、現在通りにある店に追記したような店が加わったとしても、宇部町に思い入れがない人にとっては、果たしてかわりばえがして見えるのかどうか…?
  正直に言えば、それほど大きく違って見えるわけでもないのかなとも思ったり...。

 ちなみに、僕の卒業した宇部小学校の全校児童数は現在68人、宇部中学校(=右写真)は全校生徒が29人だといいます。僕が中学のときの全校生徒数は150人くらいだったと記憶しています。後輩たちがクラブ活動にも困っているという話を聞いて、僕のまちはこの先どうなるのだろうと少し不安を覚えました。

 書ききれないほどの思い出があり、言い尽くせないほどの想いがあふれてくる宇部町のストリート。ここは僕にとって、懐かしく、温かく、ほろ苦く、何ともいえない淋しさを同時につれてくる場所です。


 シリーズ中心市街地―その18**********************
 
    駅の北側の3つの通り
    回遊誘う拠点施設もオープン

         ― 人口5万3,000人の岩手県宮古市 ―
                                                                   2019.1.12

 
 岩手県宮古市(みやこし)の中心市街地は横長の四角形のエリア。
 JR宮古駅三陸鉄道宮古駅を四角形の左下の角に見立てて、「縦の辺」として駅から上方向(北)へ約600mラインをひく、同じように「底辺」として駅から右方向(東)へ約1kmラインをひく。この縦横の長さで構成する四角形の範囲が宮古市中心市街地。 イメージ 10

  簡単に言えば、駅北側の縦600m×横1kmからなる長方形のエリア。

 この中心市街地エリアには、商店などが集積している通りが3つある。

 1つめは、鉄道の線路に並行して東西に走っている「大通り」(=右写真)、飲み屋が集中していて赤提灯の風景が心を浮き立たせる。

 2つめは、駅前ロータリーから北約50mのところにある十字路を東に向かう通りで「末広町(すえひろちょう)商店街」(=左下写真)、そして「中央通り商店街」と約1km続く。イメージ 11
  この2つの商店街がある通りはまさに同市のメインストリートであり、観光案内所の女性も「昔からの商店街です」と言う。大型書店・文具店、銀行、荒物屋、カメラ屋、寿司屋、旅館
電器店衣料品店、魚屋、時計店、酒屋、薬局、スポーツ洋品店、お茶・海苔店、接骨院、割烹、理容室、美容院、米屋、薬局、内科、生花店などが軒を連ねている。

 3つめの通りは駅前から北にのびる県道40号宮古岩泉線、通称は「あいさつ通り」。
  駅からあいさつ通りを600メートルほど北上すると、宮古の山海の幸を商う「魚菜市場」(ぎょさいいちば。右写)がある。イメージ 12観光客にも人気のスポットだが、現在はリニューアル工事中(3月23日リニューアルオープン予定)のため大型駐車場の仮設店舗で数店舗のみが営業している。そのほか、あいさつ通りにはコンビニ、銀行、携帯電話ショップ、呉服屋、おもちゃ屋、床屋、生花店、薬局、医院、ドラッグストアなどがある。
 「いまはこの通りをあいさつ通りと呼ぶ人は少なくなっていて、ほとんどが『魚菜の前の通り』と呼びます。以前と違って個人経営の店がだいぶ減ってきて…」と地元の人。

 豊かな漁業資源と三陸復興国立公園浄土ヶ浜(じょうどがはま)、早池峰(はやちね)国定公園など自然環境に恵まれている宮古市。2005年に田老町(たろうちょう)と新里村(にいさとむら)を編入し、2010年の川井村(かわいむら)の編入によって岩手県内一の面積を有する自治体となった。
イメージ 13
 2019年1月1日現在の人口は5万2,973人。
 昨年6月22日には北海道室蘭市宮古市を結ぶ岩手県初のフェリー定期航路が開設、今年3月には三陸鉄道の南北リアス線と復旧中のJR山田線の宮古・釜石間がつながり「リアス線」として一貫運行される。

 なお、昨年10月1日に市民交流センター、市本庁舎(市役所)イメージ 14、保健センターがビルトインした中心市街地拠点施設「イーストピアみやこ」(=上写真。中央奥の高い建物)が駅の南側にオープンし、線路をまたぐ自由通路「クロスデッキ」(=右写真)で駅の南北が結ばれるなど、回遊を誘うまちづくりによる賑い創出効果が期待されている。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (記事/写真・宇部芳彦)










シリーズ中心市街地【11】~【14】

シリーズ中心市街地【11】~【14】
2019.1.28

 今回は〈その11〉から〈その14〉までをまとめました。
 
〈その11〉は【番外編①】としました。
【番外編】としたのは、これまでの掲載と違って、僕の考え方イメージ 1をより色濃く反映した記事にしているためです。
 たとえば、その11は「久慈市のショッピングセンター」の集客状況と「中心市街地」の比較をしていますので番外編としました。

 なお、〈その12〉は「田野畑村」のストリート、<その
13>は岩泉町のストリート、<その14>では九戸村のストリートを紹介しています





                              +タイトル下の数字はFacebookに記事掲載した日付け
 シリーズ中心市街地―その11<番外編①>******************
 
 こんなにも集客している!
   ― 久慈の郊外型ショッピングセンター駐車場 -      
                              
                          2018.12.24

 人口約3万5,000人の岩手県久慈市
 写真は久慈市長内町(おさないちょう)の生鮮食品スーパー、ホームセンター、ドラッグストア、紳士服、靴、レストラン、100円ショップなど、チェーン展開する企業の郊外型大型店が集積するエリア。12月23日の15時すぎ。
 いくらクリスマスイブの前日で年末が近い休みの日だからとはいえ、駐車しているクルマの数がすごい。周辺市町村からもきているのだろうがクルマ、クルマ、クルマ…
イメージ 2
 では中心市街地はどうなっているのだろうか?
 クルマで10分もかからない久慈市中心市街地へ移動してみた。いつもと同様、通りを歩いている人は数人しかいない。
  中心市街地の代表的な集客スポットである道の駅「やませ土風館」に行ってみた。駐車場は6、7割ほどうまっていたが、それでもさっきの状況を見てきた目には心もとなく映る。

 前向きに考えるならば、同じまちにあるショッピングセンターがこれだけ多くを集客できるのだから、中心市街地も潜在的な集客ポテンシャルは高いはずだ。
  中心市街地の店舗に買いものに行く人もいるわけで、だからこそ中心市街地で営業している店舗は、シャッター通り化がいくら進んでいようとも営業を継続できているし、ファンだってつかんでいる。にぎわいをつくり出せる可能性はあるのではないか。
   
  加えて言えば、このまま郊外型大型店のみが時代を超えて発展し続けるということはあり得ない、僕はそう思っている。
  なぜならば、これまでもさんざん書いたが、高齢化の波をかぶっていない市町村はいまのところないから(少なくても、これまでとり上げてきた自治体は例外なく高齢化が進んでいる)。

 人口減少と免許返納の時代、この先、運転人口は確実に減っていく。そうなれば地域コミュニティに密着した店舗、つまり徒歩で行ける店舗は必ず必要になる。
  実際に、郊外型大型店をチェーン展開している企業の次なる出店戦略は、地域密着型の小規模店舗をふやすことだとも言われている。すでに首都圏などでそうした戦略をもって店舗展開しはじめているところもあると聞く。
  
  自動運転のクルマが普及すれば、また状況は変わる・・・?
  
  いずれにせよ現時点では、地方の状況を典型的に映しだしているのがこの写真であると思うし、当然ながら久慈の現実(リアル)だ。
  この状況がいいとか悪いとか言いたいのではない。今後、私たちは日本の地方を、久慈をどのようにしていきたいのか?
  これからのまちのありかたを真剣に考えるべきときがきていると思う。



 シリーズ中心市街地―その12**********************
 
   夢を語れる村へ
     - 3437人の田野畑村 中心市街地 -

                                2018.12.27

 岩手県沿岸北部に位置する田野畑村(たのはたむら)、南と西は岩泉町(いわいずみちょう)に、北は普代村(ふだいむら)に接している。
「カンパネルラ」田野畑駅、「カルボナード」島越(しまのこし)駅は、宮沢賢治の童話にでてくるファンタジックな響きをもつ言葉を使って名づけられた三陸鉄道の駅だ。
 イメージ 3 
  リアス式海岸を代表する風景としてよくグラビアなどで紹介される「北山崎」(きたやまざき)があり、200メートル前後の絶壁が海に落ち込む「鵜の巣断崖」(うのすだんがい)がある。
 それまで90万人から100万人の範囲を推移していた村の観光入込数は、東日本大震災平成23年に5万7,000人と大きく落ち込んだ。しかし近年は、平成28年48万8,000人、平成29年41万2,000人と回復基調にある。
 「鵜の巣断崖と北山崎の合計数がこの入込数で、そのうちの9割が北山崎のものです」と田野畑村役場で教えてもらった。
  
  田野畑村は食のブランド化も積極的に推し進めている。
  村の牛から絞った生乳を村内のミルクプラントで加工した、味の濃い「たのはた牛乳」や「ヨーグルト」「アイスクリーム」「ジェラート」などは全国にファンをもつ岩手を代表する乳製品の一つになっている。

 さて村の中心市街地は、役場のある田野畑地区を北端に国道45号を南へ約1.5キロ下った田野畑中学校あたりまでのエリア。菅窪(すげのくぼ)地区と和野(わの)地区が道の両側に広がり、このエリアに商店と住宅が集まっている。

 通りには、ガソリンスタンド、床屋、郵便局、JA、肉屋、喫茶店、すし屋、食品や雑貨を扱う店、食堂、食品スーパー、交番、薬と雑貨を扱う店……などなど。この中心市街地は、店舗が「集積している」と言うよりはむしろ「点在している」と表現したほうが実際をイメージしやすいかもしれない。

 村の現在人口は3,437人(平成30年12月1日)。
 昭和40年は6,159人、平成7年に4,806人と5,000人をわり込み、平成22年には3,843人と3,000人台に突入した。この村もやはり少子高齢化と過疎化の課題に直面している。

「本村の最大の課題は、過疎に耐え抜きながら、(東日本大震災からの)復旧・復興を成し遂げ『新生たのはた』を創造することであります」という村長の言葉が村勢要覧に掲載されている。東日本大震災では39人の犠牲者と数百人の避難者がでたという。

 観光事業では小型船で沿岸をクルージングする「サッパ船アドベンチャーズ」などの体験型観光プログラムが提供されるようになっている。
 「沿岸部だけでなく、内陸や山間部を舞台にした体験型観光メニューを開発しながら、海と山の産業が一体となって第6次産業を創出し、働きがいのある村、夢を語れる村を目指して、田野畑村は動き出しています」(村勢要覧)と力強く前を向く言葉が印象的だ。


 シリーズ中心市街地―その13**********************
 
 龍泉洞のまちの
   レトロモダンなストリート

    - 岩泉町 うれいら通り商店街 -
                          2018.12.30
 
 岩手県の岩泉町(いわいずみちょう)は面積約992㎢、本州でいちばん広い町。
 北上山地の東部に位置していて、西は盛岡市に接しイメージ 4、東の小本((おもと)地区は三陸の海に臨んでいる。境を接している自治体を12時方向から時計回りに書きだしてみると、久慈市、野田村、普代村田野畑村宮古市盛岡市葛巻町の3市1町3村。
 人口は9,425人・4,466世帯(平成30年11月30日現在)、町は6つの地区から構成されている。
  
  町の北部にある①「安家(あっか)地区」、日本一長い23.7kmの鍾乳洞の「安家洞」がある。
  ②「岩泉地区」には宇霊羅山(うれいらさん)と清水川(しずがわ)があり、日本三大鍾乳洞の一つ「龍泉洞」(りゅうせんどう)は全国的に有名だ。ドラゴンブルーと呼ばれる圧倒的な透明度を誇る龍泉洞の地底湖の水は、まさに見る人を圧倒する。 
  町の東南部に位置する③「有芸(うげい)地区」、海辺の暮らしがある④「小本地区」、北上山系の中にある面積320?の⑤「大川(おおかわ)地区」、西の玄関口⑥「小川(こがわ)地区」はかつて石炭や耐火粘土を採掘する炭鉱のあった場所。「炭鉱ホルモン」は現在も小川のソウルフードとして人気がある。

 平成30年2月発行の「岩泉町観光振興計画(平成29年度~平成31年度)」によると、平成28年度の交流人口は41万4,525人(観光入込数30万1,384人および龍泉洞入洞者数11万3,141人)で、平成31年度目標には70万人(観光入込数50万人および龍泉洞入洞者数20万人)を掲げている。

  同計画書には「岩泉町の大きな観光資源である龍泉洞の入洞者数は、最盛期は約47 万人(昭和60 年度)で年々減少傾向にあり、特にも平成23 年度は東日本大震災の影響により6万2,000 人に落ち込み、平成28年は台風第10 号の豪雨災害の被害により11 万1,000 人に落ち込んだ」とも書かれている。

  龍泉洞の入洞者数は近年どのくらいで推移していたのか?と調べたら、平成26年17万8,000人、平成27年17万4,000人となっており、おおむね18万人くらいと理解すればいいだろう。
 さて、この町の中心エリアは役場などが置かれている「岩泉地区」で、岩泉地区のなかでも国道455号の南側に並行する約500mの「うれいら通り」がメインストリート(中心市街地)だ。その名も「うれいら通り商店街」と言う。
 なお、通りの名前は宇霊羅山にちなんでつけられていて、「うれいら」とはアイヌ語で「霧のかかる峰」のことだそうだ。

  この商店街の若者や後継ぎたちが、年間約18万人を集めている龍泉洞の来場者もひきつけようと、新商品の開発や販売などに取り組んだ商店街活性化プロジェクト「うれいら商店街のっとり計画」なども近年、数回行なわれた。「のっとり計画」というユニークなネーミングが記憶に残っている人もいるかもしれない。

 12月29日、日没まで通りを歩いてみた。
 旅館、CDショップ、クリーニング店、北日本銀行、スーパー、りんご直売店お好み焼き屋、米屋、佛具店、本屋、布団店、洋品店、和洋菓子店、文具店、カフェ、木工や陶器・竹細工などイメージ 5のクラフトの店、パン専門店、造り酒屋、ホルモンやジンギスカンなどを扱う精肉店岩手銀行、手芸用品店、製麺
所、美容室…など。通りの中ほどに「恋人の聖地 初恋水・百恋水」のプレートが架けられた小さな親水公園があった。はっこい・ひゃっこいは「冷たい」という当地の方言。

 岩泉町は藩政時代、三陸沿岸と城下町盛岡を結ぶ小本街道の宿場町として栄えたまちなのだそうだ。うれいら通りはまさにその中心部であり、明治時代の洋館風建築や酒蔵があり、昭和のなつかしさが漂う軒の低い店がある。レトロモダンな佇まいを見せる通りはノスタルジックな雰囲気に包まれていた。

 *写真2枚は「うれいら通り商店街」(12月29日17時撮影)。「うれいら」とはアイヌ語で「霧のかかる峰」のこと。


 シリーズ中心市街地-その14**********************
 
   九戸村のメインストリート
        ― カシオペア座のように輝け ―
                                                          2019.1.4

 
 岩手県の北部に位置する九戸村(くのへむら)。1955年、江刺家(えさしか) 、伊保内(いぼない) 、戸田(とだ)の3村が合併して成立。盛岡市青森県八戸市のほぼ中間地点にある九戸村は、盛岡市まで高速道利用で1時間10分、八戸市まで高速道利用で30分、東北新幹線駅のある二戸(にのへ)市までクルマで20分、僕の住む久慈市までクルマで40分の距離にある。村にはナイター設備のある村営スキー場もある。イメージ 6

 2018年12月1日現在の人口は5,803人(2,163世帯)。
 村の中心地区は伊保内で、メインストリート(中心市街地)は村を南北に流れる瀬月内川(せつきないがわ)に並行して走る国道340号沿いの1kmほど。
 役場や公民館、JA、地場産品を販売するまちの駅「まさざね館」がある。精肉店があり、旅館があり、洋服店があり、仕出し屋、菓子店、美容室、寿司屋、酒屋、クリーニング店、葬儀店、銀行、信用金庫、電器店、コンビニなどがある。
 
 九戸村浄法寺町(じょうほうじまち。2006年二戸市と合併)、一戸町(いちのへまち)、二戸市、軽米町(かるまいまち)と「カシオペア連邦」という連携を組んでいる。「5市町村(設立当時)を点と線でつなぐとカシオペア座のWの形になることから、これらの市町村のつながりを深めようと名づけられたものなんです」と九戸村の「道の駅おりつめ・オドデ館」で聞いた。

 地平線に沈むことなく北の空に一年中きらめいているカシオペア座、美しい響きをもつカシオペア連邦という秀逸なネーミング、岩手の北部エリアがいっそう輝きますように    
           *写真は九戸村のメインストリート、2019年1月3日16時撮影


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー      (記事/写真・宇部芳彦)


シリーズ中心市街地 【6】~【10】

シリーズ中心市街地【6】~【10】イメージ 3
               2019.1.28

 
 今回の「シリーズ中心市街地」は〈その6〉から〈その10〉までを一挙に掲載します。

 レポートしているのは盛岡市普代村、軽米町、葛巻町、そして二戸市です。

 岩手県の県庁所在地・盛岡であろうとも活気が失われつつあるという現実があり、普代村は3,000人いないとても小さな自治体です。

 それぞれのメインストリートはどのような姿をしているのでしょうか?




                +タイトル下の数字はそれぞれの記事をfacebookに掲載した日付け
シリーズ中心市街地-その6*************************
 

 盛岡市中心市街地
  ― 魅力高めにぎわいあふれるまちへ ―

                   2018.12.18

 
 盛岡市の人口は29万3,819人・13万2,246世帯(2018年12月1日現在)。


 盛岡の中心市街地はどこなのでしょうか?
 「第2期中心市街地活性化基本計画」を見ると市は、中心市街地の区域を盛岡駅から東方向に広がる218haとしています。

イメージ 2 土地勘のない人(僕もそうですが)が広さと位置をイメージできるように表現を変えて書いてみます。
 東京ドームの「グラウンド部分」は1万3,000㎡、つまり1.3ha。そして、盛岡の中心市街地は218haです。
  したがって、盛岡市中心市街地は「盛岡駅から東側に広がる東京ドームのグラウンド約168個ぶんの広さをもつ区域」ということになります。

 県庁所在地であり人口が29万人を超える盛岡市でも近年は、景気低迷にともなう商店数の減少や郊外型大型店の相次ぐ出店などで中心市街地の活気が失われつつあるそうです。

 写真は12月16日の盛岡大通商店街、もちろん218haの中にふくまれているところ。周辺もふくめたこのエリア一帯には大型店などもあり県内一の商業集積地になっています。
  大通(おおどおり)・菜園(さいえん)地域が一つになって魅力あるゾーンの形成をめざす「もりおかスクエア」(パルクアベニューカワトク、盛岡大通商店街協同組合、盛岡ショッピング&スクリーン、東大通商業振興会、映画館通り、クロステラス盛岡で構成)はさまざまな事業を展開しています。写真には「歳末夢フェスタ」の緑色のバナーが見えています。



シリーズ中心市街地-その7***********************
 
 青の国の中心市街地
  ― 3000人いない普代村

                  2018.12.19


 今回とり上げるのは岩手県普代村(ふだいむら)の中心市街地。
 
 ―― 普代村では様々な青に会うことができます。遠い空には水色がにじみ、それがグラデーションを描きながら空色イメージ 4になっていきます。その真下には紺色や藍色、群青色、瑠璃色など、ありとあらゆる青色が黒崎やネダリ浜、キラウミやまついそ公園など、村の各地で見ることができるのです・・・・(村の観光ガイドブック)

 村の産業は漁業・水産養殖業が大部分を占めており、観光産業にも力を注いでいる(村勢要覧)という。
 
 久慈市からクルマで国道45号を40分ほど南下し、普代トンネルをくぐる。つづら折りの坂道を下り村の中心部に着いた。

 この村の人口は2,721人・1,149世帯(2018年11月30日現在)。
  12月15日にこのページで小さな村として紹介した野田村(4,255人)よりも少ない。12月18日に紹介した盛岡市(約29万4,000人)とはくらべるべくもない。
 人口は減っていて、たとえば平成13年(9月30日)は3,548人、平成24年(同)に2,995人となり3,000人を下回った。そして現在は約2700人だ。
  
  さて、中心市街地。観光に力を注いでいると言うだけあって観光ガイドブックは「商店&食堂めぐり」の紹介コーナーを4ページ・カラーで組んでいて、地元の海の幸を使った料理や看板メニュー、店主たちの笑顔、リピーターがいることなどを伝えている。


 実際に歩いてみた。この中心市街地は国道45号に沿って広がっている。南北約700mの長さだ。目にした店をランダムに書き出してみる。

  魚屋、時計店、クリーニング店、理容室、スーパーマーケット、ガソリンスタンド、靴屋、酒屋、味処、クリスマスの飾りつけのある菓子店、薬局、精肉店、化粧品と食器を扱う店、電器店、田楽を焼いて提供している店…。
  さらに、普代タクシーがあり、郵便局があり、JA新いわて普代支所がある。

 人口は確かに少ない。でも、僕は悲しい気持ちには襲われなかった。それよりも、人口が少ないところでこんなにも多種多様な店があることにむしろ驚いた。
  きびしいことも多いだろうけれど、投げやりやあきらめを通りから感じることはなかった。人々は前を向いて日々を歩んでいる。心あたたまるふるさとの風景なのかもしれない。自然体でいられる心地良さがあった。



シリーズ中心市街地-その8***********************


 どこか懐かしさを感じる40分
  ― 軽米町中心市街地 散歩のススメ ―
                                          2018.12.20
 
 岩手県北部のイメージ 1県境に位置する軽米町(かるまいまち)。
 北は青森県八戸市、南部町(なんぶちょう)、階上町(はしかみちょう)に接している。自然豊かな丘陵地に囲まれた農林畜産業が盛んなまちで、毎年春には「雪谷川(ゆきやがわ)ダムフォレストパーク・軽米」の15万本のチューリップが咲き、観光客の目を楽しませている。
  
  軽米町の11月30日現在の人口は9,028人・3,778世帯、このまちも人口減少と高齢化が進んでいる。
 町勢要覧を見ると、昭和55年の人口は1万3,768人・高齢化率11.2%。平成27年に人口は1万人を割り9,333人に、高齢化率も36.4%になった。
 

 さて、軽米町の中心市街地。
  ”いいものいっぱいかるまい”とタイトルしてある「軽米町観光物産&ナビ」小冊子を高台にある軽米町役場でもらった。「このまちの中心市街地? 私たちは『まちなか』と言っていますけれど、それはまさにここ(役場)から東に広がるエリア」と職員。
  
  さっそく歩いてみる。4つの商店街があった。


 高台にある役場から10メートルほど下った十字路の左手(北方向)には「上新町(かみしんまち)商店街」がのびている。魚屋、理容室、LIQUR&FOODSの看板をだしている店、米屋などがあった。
 十字路までもどり、役場を背にまっすぐのびている通りに入る。ここは「大町(おおまち)商店街」だ。
  東西250mほどの通りの両側に数多くの店が軒を連ねている。まさに中心市街地と言うにふさわしい。電器店、郵便局、呉服店、水道・金物店、理容室、神仏具店、洋品店、ジュータン・カーテン・敷物の店、酒屋、岩手銀行、寝具店、文具店、陶器店、メガネ店、カフェ…。
 大町商店街のカフェを左手に見ながら交差点を右(南)に曲がり、「仲町(なかまち)商店街」(南北約200m)へと進む。交番、雑貨店、手作り豆腐・アイス・お菓子などを扱う店、薬局、みちのく銀行靴屋、時計店、そしてクリスマスイルミネーションで飾られた軽米町物産交流館があった。物産交流館では特産品や土産品を売っていた。
 
  仲町商店街を通って左(東)へ曲がる。東西約100mの「荒町(あらまち)商店街」には食品スーパーがあり、衣料品店があり、菓子店があり、製麺所があった。
 ~ いざ車をとめて、まちなかに繰り出しましょう。どこか懐かしさを感じる風景の商店街は、歩いて巡ると40分ほど。気軽にまちの人に話しかけて、土地の言葉や、あたたかい人柄にふれながら、ゆっくりまち歩きを楽しんで。(軽米町観光&物産ナビ)~ 
                  
                                                    *写真は大町商店街、役場を背に12月19日16時50分撮影


シリーズ中心市街地-その9*********************
 
  味わい深い一本道をまちあるき
  ― 葛巻町中心市街地 ―
                 2018.12.20
 

 北緯40度、岩手県東北部の高原地帯にある葛巻町(くずまきまち)は標高1000m級の山々に囲まれた酪農と林業のまち。
 イメージ 5 
  くずまき高原牧場でつくられている乳製品や地元産の山ぶどうを使ったくずまきワイン、大きな風車の風力発電施設などがあり、県内外に「ミルクとワインとクリーンエネルギーのまち」として知られている。

「町の最大の課題は人口減少です。観光をはじめさまざまな取組みに力を注ぎ、中心市街地にもっと人を呼び込み町を元気にしたい」と言うのは役場の観光担当・桂川(かつらかわ)いずみさん。

 葛巻町の現在人口は6,279人(平成30年4月1日。住民基本台帳)。ピーク時の昭和35年、1万6,000人ほどが暮らしていたこの町は、平成7年に9,536人と1万人を割り込んだ。人口減少の大きな波は葛巻にも押し寄せている。

 人口減少問題を克服するために町は産業振興や移住定住支援、地域資源を活かした特産品づくりや観光推進など、葛巻だからこそできる、葛巻にしかできない「地方創生」に挑戦し「全国の山村のモデルとなるまちづくり」をめざすとしている。ちなみに、観光客入込数は28年度50万1,095人、29年度52万1,110人など、年間50万人を超えている。

 葛巻町中心市街地は国道281号沿い、葛巻町役場から元町橋(もとまちばし)たもとの十字路までの約1.7キロの区間
  
  歩きながらメモした沿道の店舗をいくつか書き出してみる。
  呉服店、雑貨店、菓子店、電器店、葬儀店、小学校、生花店、写真店、歯科医、理容室、美容室、焼き鳥店、スーパー、クリーニング店、靴店、時計店、家具・建具店、喫茶店、化粧品店、盛岡信用金庫みちのく銀行岩手銀行、駐在所、JA、体育館、コンビニ、パチンコホール、酒店、食堂・・・。
 町の観光ガイドブックは通りの魅力を「昔ながらの味わい深い商店街が葛巻町のメインストリート。自動車社会ではなかった時代から続く店がいたるところにあり、今風のショッピングモールとはまったく違うふれあいが楽しめます」と訴えている。 

 *写真はストリートの中ほどにある「まちの駅くずまき」。バスターミナルの待合室に町内で採れた野菜などをあつかう産直が併設されている。



シリーズ中心市街地-その10**********************


 奥州街道だった道 いまも燦然と輝く
  二戸市中心市街地 ―
                           2018.12.22
 
  岩手県内陸部の北端、岩手のてっぺんに位置する二戸(にのへ)市。
  日本一の生産量を誇る漆(うしる)でつくる浄法寺漆イメージ 6(じょうほうじしっき)をはじめ、若鶏・短角牛・三元豚の食肉、りんご、さくらんぼ・ブルーベリーなどの果物、世界一の称号が与えられた地酒「南部美人」などがあるまち二戸。秀吉天下統一の総仕上げで戦った九戸政実(くのへまさざね)の居城・九戸城跡があり、座敷わらし伝説が残る金田一温泉(きんだいちおんせん)もある。


 さて、東北新幹線IGRいわて銀河鉄道などが乗り入れている二戸駅の東口を出て坂を数百メートル下ると、南北に流れる馬淵川(まべちがわ)に沿うようにはしる県道274号にぶつかる。
  ぶつかった交差点を南端として北に約3kmの範囲、つまり県道274号の南北3kmの範囲が二戸市中心市街地(メインストリート)だ。
  この地区の地名は「福岡」(ふくおか)という。北東北の年輩の人たちは二戸市のことを「福岡」と呼んだりするが、それは以前から福岡が栄えていたことを意味していると思われる。
 実際、このメインストリートはかつて「奥州街道」(おうしゅうかいどう)だったのだそうだ。奥州街道とは江戸時代の五街道のうちの一つで江戸・日本橋から北海道の函館まで続いた道。福岡から先、本州部分は津軽半島の先端、外ヶ浜町(そとがはままち)の三厩(みんまや)まで続いていた。「昔、福岡は宿場町として栄えていたと聞きました」と言う地元・二戸の人。
 
 ストリートを散策してみる。
 飲食店がある、つくり酒屋の南部美人が目に入る、居酒屋、洋服店、スポーツ店、花屋、美容室、理容室、岩手銀行みちのく銀行盛岡信用金庫。そして、二戸シティホテル、二戸パークホテル、ホテル村井、村田旅館‥‥‥などなど数々の店舗や会社、ホテル・旅館などがある。

 二戸市の現在人口は2万7,186人(平成30年10月末現)。
  
  似た人口規模の市に僕の住む岩手県久慈市がある。久慈市の人口は現在約3万5,000人。二戸市よりも8,000人ほど多い。
  これまで僕は2つの市の中心市街地の風景を見ていて、実際に何回も見ているのだけれども、「二戸は久慈よりも大きい。おそらく人口4万5,000人くらいだろうな」と思い込んでいた。このストリートに活気を感じていたからである。
 二戸は崖や坂などが多く平地になっているのは福岡のあたりだけだから商業集積しやすいんでしょうと謙遜する人、新幹線が通っているから元気なんでしょうと話してくれた人もいた。

 二戸市もほかと同様、人口減少の波から逃れてはいない。
   でも、このストリートはまちを代表する「顔」の役割を十分に果たしている、そう感じた。

 *写真は二戸市のメインストリート県道274号二戸一戸(いちのへ)線。
 
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー                  (記事/写真・宇部芳彦)

シリーズ中心市街地 【1】~【5】

シリーズ中心市街地【1】~【5】イメージ 7
               2019.1.27
 
 まちの特徴とメインストリート、課題 
 ― シリーズはまだまだ続く ―

 この「シリーズ中心市街地」は僕のフェイスブック宇部芳彦のページ」に2018年12月11日から掲載を開始、2019年1月末現在もフェイスブックへの記事掲載を続けており、これまでに21本の記事をアップしています。

 実は当初、数回でこのシリーズは終わりにする予定でした。
 しかし、予想以上に反響が大きく、今後もしばらくは不定期ながらも掲載を継続していこうと考えています。
 1か月足らずで21回のレポート記事を不定期でフェイスブックに掲載していたのですが、本数をまとめて見てもらうのもいいなと考え、この「ブログ」には数本ずつまとめて掲載することにしました。

 最初の記事は、かつて隆盛を誇っていた僕の住むまち久慈市のメインストリート。「人口減少」や「郊外型ショッピングセンターの登場」などでまちの構造が変わり、人通りが少なくなってしまったことを伝えたいと思ったのです。
「写真があればなんとなく様子がわかるだろう」という程度の軽い気持ちではじめていますから、最初のころの記事はとても「短い」のですが、掲載回数が深まるにつれて、文字数はどんどんふえています。

「まちを紹介」したり「人口規模」などを比較することよって、何か特徴が見えてくるかもしれないと思っています。僕が特徴を見つけられなくても、これを見た読者のあなたが何かを発見してくれるかもしれません‥。楽しんで読んでいただければ幸いです。

    今回は<その1久慈市>から、<その5の野田村>までをまとめて掲載します



                  +タイトル下の数字はそれぞれの記事をfacebookに掲載した日付け 
シリーズ中心市街地-その1*******************************

イルミネーションが通りに彩を添える
― 人口3万5000人の岩手県久慈市 ― 

                               2018.12.11

 
 岩手県久慈市中心市街地、12月11日16時。
 すっかり暗くなって、街灯とイルミネーションが通りに彩を添えます。少しわくわくするような光の演出です。と言うよりも、クルマのライトのほうが華やか?…
宇部、久慈の街はどこにあるの?」
  数年前、遠方から遊びにきた友人が僕に言った言葉です。聞かれたのはまさに「この場所」でした。人がいないので、よもやここだとは思ってもみなかったのです。イメージ 1
  
  市日(いちび)や祭りなど、なにか特別なことがない限り中心市街地に人があふれることはなくなりました。でも、逆に言えば、目的があれば人は集まるということです。
 ある人が「今日は寒いから人は外に出ない」と言いました。可能性と希望はまだまだ見いだせるという思いが伝わってきます…。僕だって、自分の住むまちのメインストリートは元気なほうがいい。
 カメラのファインダーを通して見る12月の久慈の中心市街地、寒さを少しやわらげてくれる光が印象的です。



シリーズ中心市街地-その2************************
 
 久慈銀座商店街の夕景
 ― 僕のまちのメインストリート ―
  
                      2018.12.13

 写真は12月11日16時40分の久慈銀座商店街です。
 「お買い物は地元のお店イメージ 2へ 久慈商工会議所」と書かれた立て看板が見えています。
 立て看板の右、歩道をはさんで黄色い光がもれている場所は「銀座・お休み処」で、イベントや会議などに利用されます。
  三陸鉄道久慈駅およびJR久慈駅はこの写真の道の奥、クルマで1分とかからない場所。
                                  
 *12月11日に掲載した岩手県久慈市中心市街地の写真が好評ですが、僕はこの写真も気に入っています。 
  「久慈のまちはこうなのか」と感じていただければと思います。良くも悪くもこれが僕の住んでいるまちのメインストリートの風景。
 なお、12月11日に掲載した写真は中心市街地のメインストリートでカメラを西方向に向けて撮影したもの。一方この写真は、ほぼ同じ場所からカメラを東方向に向けて撮影したものです。


イメージ 3
シリーズ中心市街地-その3 *****
  

23万人のまち青森県八戸市
               2018.12.14

 写真は八戸市中心市街地、12月13日17時30分。
  写真に向かって右のビルが八戸ポータルミュージアム「はっち」です。
  はっちの斜め向かいから十三日町方向へカメラを向けてシャッターを切りました。

  *八戸市の人口は約23万人。12月11日と13日に中心市街地の写真を載せた久慈市の人口は約3万5000人です。



シリーズ中心市街地-その4************************

  沿岸最北端の中心市街地
  ~ 洋野町のストリート ~

                  2018.12.15
 
イメージ 4   岩手県沿岸最北に位置する洋野町(ひろのちょう)。
   平成30年11月30日現在の人口は1万6,846人。
 
  洋野町中心市街地はJR八戸線種市(たねいち)駅を中心に広がっている。この中心市街地は「岩手県沿岸最北端の中心市街地」だ。
 写真は南北におよそ600m続くメインストリート(県道角ノ浜玉川線)のようす。通りをざっと眺めると、本屋、菓子店、薬店、時計店、クリーニング店、洋服店、釣具店、ヘアーサロンなどがある。洋野町役場があり、交番があり、東北銀行岩手銀行、郵便局もある。
 加えてこの通りを北に進むとクルマで数分もかからない場所に大型食品スーパーもある。
 洋野町種市の住民は地域の外にわざわざ買い物に出かけなくても、必要なモノはこのまちで一通りそろうだろう…そんな印象を受けた。
洋野町は平成18年、種市町たねいちまち)と、種市町の内陸側(東側)に位置していた大野村(おおのむら)が合併して誕生。合併当時の人口は全体で約2万人(旧種市町が約1万4,000人、旧大野村が約6,000人)だった。



シリーズ中心市街地-その5************************
 
 4255人のメインストリート

 ― 野田村の中心市街地 ― 

                   2018.12.15


 ここ最近、各地の中心市街地の写真を載せている。これまでに久慈市八戸市洋野町のメインストリートの風景を紹介した。イメージ 5
  なぜって、たとえ不定期でもシリーズ的に掲載していれば、人口規模などの比較によってそのありよう、特徴が何か見えてくるかもしれないと思っているから。
  
  あるいは僕が特徴を見つけられなくても、これを見た読者のあなたが発見してくれるかもしれない‥。
  発見できなくても「へー、あそこの中心市街地はこんなところなんだ」と楽しむだけでも充分におもしろいと思っているから(僕だけかな?)。 

 さて、写真は岩手県の野田村(のだむら)のメインストリート、12月15日15時のようす。

 南北約500mのこの通りには、野田村役場、個人経営の病院(内科)、写真屋、理容室、魚屋、薬局、文具店、食品スーパー、食事処、クリーニング店、時計・眼鏡店、電化製品と肉を扱う店などがあり、広場や公園もある。
  そのほか、神社の朱色の大きな鳥居が通りに面して建てイメージ 6られていて通る人の目をひいている。
  なお、通りには面していないけれど数メートル脇には岩手銀行、郵便局、洋服店、酒店、菓子店なども見える。

 野田村は僕の住む久慈市の南にある小さな村。人口は4,255人・1,637世帯(2018年11月30日現在)。
  ホタテやワカメなど海の幸に恵まれるとともに、ホウレンソウや食用菊、山ぶどうなど冷涼な気候を生かした作物が栽培されている。野田港の海水をくみ上げてつくった「のだ塩」や山ぶどうワイン「紫雫」(しずく)なども人気。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
次回はその6(盛岡市)~その10(二戸市)まで掲載します


                              (記事/写真・宇部芳彦)






集客戦略論-2 脚光浴びる集客資源への情報戦略

Bird's-eye viewイメージ 2

集客戦略論 –2
脚光浴びる集客資源への情報戦略
  ~ 発信する機会をつくりだせ ~
                                                   2018.11.26

 先日(2018年11月22日)、僕は自身のフェイスブック宇部芳彦のページ」に岩手県久慈市の『久慈駅前の複合施設・愛称募集』の記事を書きました。それに対して、友人から「なぜ、あの記事を書いたの?募集しているのは久慈市なのに」と言われました。

  この問いに答えます。
  一言で言うと自分をふくめて地域が豊かになる「とても大切な情報戦略」だからです。
  久慈駅前の複合施設のことに限ったわけではなく、ほかの全国のさまざまなケースにも応用できると思います。

 さて、久慈駅前に2020年度オープンをめざして建設される「駅前複合施設の愛称募集の案内」は現在、僕の知る限りでは、市のホームページにしか掲載されていません。しかしイメージ 1、応募資格は「誰でもOK」となっています。つまり市民でなくても応募できるわけです。

久慈駅前」のようすは、NHKの朝ドラ「あまちゃん」によって全国に知らしめられました。くり返しますが、久慈市に住む人でなくても、全国のあまちゃんファン、朝ドラファンなど誰でも応募でき、岩手県久慈市の駅前の建物の名づけ親になれるということです。

 僕はフェイスブックにこの愛称募集を伝える記事をアップしましたが、僕のフェイスブックの「友達」つまり「読者」は久慈市民だけなく全国、北海道から沖縄までの人たちがいます。市民はもとより、フェイスブックの友達、あるいは友達の友達が応募してくれる可能性もないとは言い切れません。

 もし、市外から応募してきた人のネーミング案が「複合施設の愛称に採用されたら?…」イメージ 3

  久慈市はより積極的にPRする理由ができます。もちろん、市民案が採用になった場合でも久慈市は結果発表するでしょう。
 しかし、市外の人からの応募案が採用になった場合を考えてみれば、より積極的に、と言うか「しつこいほどに」PRしても人々は好意的に受け止めてくれるはずです。「開かれた市、フェアな市民だな」と。
  新聞や雑誌、またフェイスブックやブログなどSNSでも全国の人々や久慈市民たちが好意をもってその情報を発信してくれることになるでしょう。 

 そうなれば、駅前空間が再び脚光を浴びます。
全国の人が、あるいは名づけ親になった人が住むまちの人々も久慈を訪れてくれるようになるかもしれません。
  人がくればいくばくかのお金を落としてくれますし、地元にはない発想をもたらしてくれまイメージ 4す。だから、久慈に住む私たちは豊かになれる可能性が高まります。

 よしんば、市外・県外の人が応募した愛称が採用にならなくても、たとえば経過発表のとき「盛岡市から何人、東京都から何人応募してきました」というように、久慈市も前向きな情報発信ができるネタをつくりだせる可能性が高くなります。

                       
                   
 僕は、地域資源の差別化を図るためには「ストーリー」が大切だといつも言っています。ストーリーとは、ヒト、モノ、コトにまつわる「物語」のことです。物語をヒトやモノやコトに添えることによって、それは独イメージ 5自のもの、世界で1つだけのものになります。
 ストーリーが地域外の人たちから共感を得られれば、それはとてつもない集客資源になることは「あまちゃん」が教えてくれたはずです。

 そして、宇部は「情報発信」も「ストーリー」だと定義しています。
  情報発信の機会をつくりだして何回か重ねていくことで、発信されたという事実が重なり、それがストーリーになるわけです、独自の歩みなのですから。
  言いかたを変えれば「情報発信機会をつくりだす」ということは「ストーリーをつむぎだしていること」、すなわち「差別化を図っている」ことと同義なのです。

 だから僕は「久慈駅前複合施設・愛称募集」の記事を書いたのです。巡りめぐって、僕も豊かになれる可能性を求めて。

                           *文・写真/宇部芳彦