シリーズ中心市街地【19】~【21】

シリーズ中心市街地【19】~【21】
2019.1.29

 今回は<19・青森県五戸町>と<20・青森県三戸町>、そして<21・岩手県山田町>のメインストリートの記事を掲載します。
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 2018年12月11日に「岩手県久慈市」の中心市街地の記事をフェイスブックに掲載しはじめてから、2019年1月23日の「山田町」まで21本の記事を掲載しました。

 いつのまにか、21回も書いている!と自分でもびっくりしました。もちろん今後も継続していく予定です。

  最初のころにくらべると文量が多くなっています。それだけまちの姿が具体的に浮かび上がってきているのではないかと思っています。

 
 五戸町ではお店に飛び込んで話を聞きました。通りの雪が輝いていました。

 三戸町では「三戸街歩き奉行所」のガイドさんに詳しくまちのようす聞かせていただき、記事はこれまでになく高い評価をいただくことができました。今日2019年1月29日でもまだフェイスブックの「いいね!」がふえています。本当にありがとうございます。

 山田町のメインストリートは東日本大震災のあと復興した通りでした。山田湾は本当に青くきれいでした。


                                                   +タイトル下の数字は記事をfacebookに掲載した日付け
 シリーズ中心市街地―その19************************ 
  
   雪で彩られる坂のまち
  ― 五戸のメインストリート ―
         イメージ 1   2019.1.13

 青森県三戸郡五戸町(さんのへぐんごのへまち)。
 太平洋沿岸の八戸市と内陸にある十和田市の間に位置する五戸は、東西が20.7km、南北が18.6kmと東西方向に長い楕円形のまち。]

 このシリーズの「その16」(1月7日掲載)で、1から9まで「戸」の字がつくまちがあることを紹介したが、そのうちの一つである「五戸はどんなところ?」なのだろう。

 五戸は八戸のとなり町、八戸駅からクルマで約20分、それほど遠くはない。
 さて、五戸町の人口は1万7,333人・7,048世帯(2018年12月1日現在)。

 中心市街地は県道113号に沿った東西約800mのストリートで、五戸町役場もここから数分の距離にある。
 主要産業は農業でニンニクや長芋、リンゴ、さくらんぼなど。また、名馬の産地を象徴する「戸」がつく町だけあってか「馬肉と言えば五戸」と言われるほどの特産品であり観光資源としても大切にされているという。馬肉は別名「桜肉」(さくらにく)とも呼ばれ、刺身や焼き肉、しゃぶしゃぶなども人気がある。

 通りを歩いてみよう。呉服屋、菓子屋、暖房器具などを販売するガス店、理容室、コンビニ、信用金庫、時計店・洋服店・履物店、銀行、スポーツ用品店金物店、雑貨店、タバコ・切手・印紙などを扱う店、歯科医、神具・仏具店、食料品店、化粧品・日用品の店、履物店、精肉店、カメラ屋、割烹、食堂、郵便局、美容院、酒屋、焼き魚の店、寝具店、書店、食品スーパー‥‥などがある。

 店に飛び込んで聞いてみた。
 「この通りはかつて奥州街道で、宿場町として栄えたんです。履物屋が多いのもそのなごりなのだと思います。この通りの商店街は2つで、上大町(かみおおまち)商店街、中央商店街と言います」

 重ねてこう説明してくれた。
 「五戸は坂のまち。ここの人々は昔、平地に田んぼを作り、高台に家を作りました。だから、人がいる場所は坂になっているわけです。この通りも坂が多いですよね」

 坂のまちのメインストリートは、光を反射する白い雪でくっきりと彩られていた。



 シリーズ中心市街地― その20***********************
 
    ねこのまち三戸の楽しいストリート
  ―  親しみやすさと歴史遺産が同居する ―                                          2019.1.19

 青森県三戸町(さんのへまち)は岩手県二戸市の北に位置していて、町の中央を国道4号線が縦断している。2018年12月31日現在の人口は1万101人・4,299世帯。イメージ 13

  戦国時代には北東北一帯を支配していた三戸南部氏の居城「三戸城」が築かれ、江戸時代には日本橋から津軽半島先端の三厩(みんまや)、そして北海道の函館まで続いた奥州街道(おうしゅうかいどう)が通っていたまち。

 現在の三戸の中心市街地(メインストリート=上写真)は旧国道4号沿いで、北は住谷橋(すみやばし)から南は三戸警察署までの約2.5キロ、ここはもともと奥州街道だったストリートだ。

 歴史的に栄えてきたこの通りには、1410年に建てられた観福寺(かんぷくじ)をはじめ江戸時代と近代に奉納された大絵馬をイメージ 2多数展示している三戸大神宮(=右写真)など由緒ある数多くの寺社が建ち並んでいる。

「寺社のほかにもぜひ見てほしいのは国登録文化財の佐滝(さたき)本店・別邸、また富田歯科医院跡(とみたしかいいんあと=左下写真)など。郵便局、それからねこの石像も」と笑顔で話してくれたのは「三戸街歩き奉行所」のガイドを務めている河原木(かわらぎ)まゆみさん。
  佐滝本店・別邸は大正14年に建てられた県内最古級のコンクリート建造物、また、富田歯科医院跡も大正末に建てられた旧第九十銀行三戸支店なのだそうだ。

 なお、「三戸街歩イメージ 3奉行所」は三戸町観光協会のなかにあり、ガイドさんたちが事前申し込みを受けてお客さんといっしょに約1時間30分まちなかを歩き案内している。 「私たちがご案内させていただいているのは年400人から500人くらい、近年はどんどんふえてきています」(河原木さん)

 街歩きファンがふえている、郵便局?・・・
 三戸町は漫画家の「馬場のぼる」さん(1927~2001年)の出身地なのだそうだ。1967(昭和42)年、馬場さんは絵本「11ぴきのねこ」(こぐま社)を出版して瞬く間に全国的人気を博した。以後「11ぴきのねこ」絵本はシリーズ化され、1967年の初版から29年間で6冊刊行されている。イメージ 5

 役場では「11ぴきのねこ」による地域振興に2001(平成13)年から取り組んでいる。
 「11ぴきのねこのまちづくり事業と言います。当初は絵本を使った小中学校での読み聞かせや、赤ちゃんが生まれたときに絵本をプレゼントしたりしていました。現在は、ねこの石像を中心市街地に6体、道の駅さんのへに1体、合計7体設置しています。今年度末までにあと2体ふやし、来年度末までにさらに2体ふやして合計11体にします。もちろんこれは地域活性化、交流人口拡大のために行なっている事業です。とても親しみやすいと好評です」(三戸町役場・まちづくり推進課)
 
 ちなみに、ふるさと納税をしてくれた人に意向を聞くと約半数が「11ぴきのねこによるまちづくりに私たちの寄付を使ってほしい」という答えを返してくるという。

  三戸郵便局を訪ねてみた。橋本(はしもと)郵便局長(=写真左下)が応対してくれた。
  同郵便局の「11ぴきのねこイメージ 4の取り組みはたとえば、ねこの記念切手の販売、十二支に無理矢理?ねこ年を入れたお年玉付き年賀はがきの発売、11ぴきのねこ食器セットや弁当箱など三戸郵便局企画商品(=写真右上)の販売、ねこ局員が勤務する「ミャンのへ郵便局」としての開局(毎月第3日曜日)などで、全国からの来客があると言う。


 僕は橋本局長から「にゃん定書」をもらった。
  ~あなたは馬場のぼる作品表示のねこポストをひたすらに探し、いくたの困難をクリアし、1箇所のねこポストを自撮りしたことをここににゃん定【人間語で認定】するにゃご。2019年1月18日~と書かれていた。
 「ねこポスト」は三戸町内に30か所、またこのシリーズ中心市街地<その19>(1月13日掲載)で紹介した五戸(ごのへ)町内にも1か所、合計31か所設けられているとのこと。

「食べ物だって三戸独自のものがあります。『きんかもち』というのは餃子の大きなものと考えれば近いんですが、小麦粉を練って、クイメージ 11ルミ入りのサトウと黒ゴマの餡を包んで茹で上げます。それからエゴマが入っている三戸せんべい、これは南部せんべいの一種ですけれども薄くてサクサクした食感が特徴です」と前出の河原木さん。

 何とも楽しい街歩きができる三戸の中心市街地、ポケットパークでは、ねこの石像がライトアップされていた。


*写真1枚目:三戸のメインストリートは旧国道4号沿い約2.5キロ。
*写真2枚目:三戸大神宮
*写真3枚目:富田歯科医院跡。大正末に旧第九十銀行三戸支店として建てられた建物。
*写真4枚目:三戸郵便局の企画商品。
*写真4枚目:三戸郵便局前の「ねこポスト」と橋本郵便局長。
*写真5枚目:メインストリートの中ほどにあるポケットパークでライトアップされていたねこの石像、1月18日17時45分撮影。


 シリーズ中心市街地―その21***********************
 
   明日へと歩む山田町のメインストリート
                                                                            2019.1.23
      

 岩手県沿岸部・陸中海岸のほぼ中央に位置する山田町(やまだまち)。2019 年1月1日現在の人口は1万5,665人・6,615世帯。北は宮古市(みやこし)、南は大槌町(おおつちちょう)と接している。

  僕の住む久慈市と同じく岩手県の沿岸部にある山田町。何回か通り過ぎてはいるのだが、町をじっくりと眺めるのは今回がはじめてだ。
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 町の入り口に着いた。国道45号のすぐ数十メール脇に湖のように穏やかな海が広がっている。カキ、ホタテの「養殖いかだ」がたくさん浮かんでいる。海面の高さはクルマの運転席にいる僕の目の高さとさほど変わらないように見える。山田湾は本当にやわらかく青く輝いていて、きれいな風景だなと思う(=右写真)。

 山田湾と並行して国道45号が南北に走っている。
 「宝来橋(ほうらいばし)から南へ約1kmの国道45号沿いが中心市街地です」と教えてもらった。

イメージ 7  町役場はこの1kmのほぼ中ほどの位置にある。役場の位置を厳密に書くならば中ほどにある交差点の側道を100mほど内陸側に入ったところなのだが、中心市街地(=写真左)は「役場を中心にして国道45号線の南と北それぞれに500mずつ、計1kmの範囲」とイメージすればわかりやすい。


 海が本当に近い。だから、3.11東日本大震災で町は壊滅的な被害を受けた。役場からもらった資料には、死亡者数824人(平成30年11月9日現在)、行方不明者数1人、遺体収容者数604体(平成25年3月31日、宮古警察署発表)‥‥目をふさぎたくなるような数字がいくつも並んでいる。

  役場も1階の天井まで水没した。
 「津波のあと火事が起きて役場の前の通りはなにもなくなりました。3月ですから寒いはずですが、火で通りが暖かくなるほどで…」(役場の広報担当職員)
 今年3月23日に三陸鉄道に移管され「リアス線イメージ 8」として開通する「陸中山田駅」の新しい駅舎(=右写真)が役場のすぐ近くにあった。
  町の人によると「駅舎が完成したのは昨年の12月下旬」とのこと、駅の位置は震災前から変わっていないそうだ。陸中山田駅はオランダ風車をイメージした外観だという。

 ストリートの状況を聞いてみた。
 「現在の国道45号線は震災前にくらべると、少し内陸側に移動させています。それから災害公営住宅、山田中央団地と言うのですがこれを3棟、45号沿いに整備しました。あと陸中山田駅のそばには小中高生世代の居場所と図書館機能を併せもった『山田町ふれあいセンターはぴね』なども整備しています」(役場職員)

 では、震災前後で45号沿いの商店の状況はどう違っているのか?
 震災前の住宅地図を見せてくれた。1kmの範囲、すなわちメインストリートには50をゆうに超える商店名が書き込まれていた。現在、新しくなった商店街など新たにしたこの通りに出店しているのは震災前の半数くらいなのではないか? イメージ 10
  もちろん、この通り以外に新たな場所を探して出店している人もいると言うからくらべようがないのだけれど…、いずれにしても大きな財産を流出・焼失したことに間違いはない。

 さて、現在のメインストリート沿いの商店街を書き出してみる。「山田うみねこ商店街」はペットトリマー、ケーキ屋、駄菓子屋、書店、スナック、風呂を備えた宿泊施設「湯らっくす」、美容室、文具店などが集まっているエリア。前述した陸中山田駅と、そして陸中山田駅の前面には地元大型スーパー「びはん」(=写真上があり、びはんの横の通りをはさんで金融機関などがある。

  イメージ 9もう一つは「新生(しんせい)やまだ商店街」(=左写真)、役場の前面の45号沿いにセブンイレブン、花屋、ラーメン、床屋、写真屋、タクシー、飲食店など9つの店舗が集積している。また「川向(かわむかい)商店街」にはスナック、焼き肉屋、衣料品店などがあり、加えて昔からのビルもあってカラオケ店やスナックなどが入っている。

「広報やまだ」2018年4月1日号をもらった。「復興計画は発展期へ」とタイトルされた巻頭稿には「陸中山田駅前の中心市街地エリアでは、戸建て店舗や飲食店、各金融機関がほぼ立ち並び、震災以前のにぎわいをとりもどしつつあります」と記されている。

 にぎわいをあと押しする柱の一つに観光がある。
 「がんばる商店主による震災語り部」として『被災地ガイド&まち歩き』があり『語り部タクシー』があり『復興まち歩きつまみ食いツアー』がある。山田湾では「クルーズ」や「養殖いかだ見学」があり「シーカヤック体験」などがある。「いかさばき&いか焼き体験」など特産グルメの手づくり体験などもある。以上はすべて震災後につくったプログラムなのだと言う。

「未来の山田に夢をもち続けたいと思います」と広報やまだは書く。そう、これからは明日を見つめて歩みを進めていく、ここはそんな町のメインストリートだ。
                                    
*写真は5枚とも2019年1月22日に撮影。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(記事/写真・宇部芳彦)