小中学校の廃校活用を考えよう -その1
Bird’s- eye view
本ブログ「Bird’s-eye view」は岩手県久慈市の地域おこし協力隊・宇部芳彦(=筆者)の視点によってテーマを設定し、筆者独自の分析や意見など掲載していく。地域おこし協力隊は、新たな視点をもって地域活性化に資する活動を行なうことをその役割として求められている。いわば、いい意味で「よそもの」としての視点を持ち込んでの提案や活動がその任務。
今回取り上げるテーマは「廃校活用」(全4回)。筆者が協力隊活動を進めるなかで「廃校を地域資源として再生したい」という久慈市民の声を聞いたことから、各地の廃校活用ケースの実際をレポートすることで市民の思いにこたえ地域活性化に貢献したいと考えた。
小中学校の廃校活用を考えよう -その1
ケーススタディに見る再生と運営の実際
2016.9.30
全国的に廃校を活用しようという機運が高まっている。かつて、地域コミュニティのシンボルとして存在していた学校だからこそ何とか有効に再生させたいと願う地域住民も多いが、実際にはどのようにしていったらいいのだろうか? 今回から数回にわたり活用の実際を久慈市内外のケーススタディに見ていくが、今回は久慈市内の再生施設をレポートする。
芸術村へと再生させた あーとびる麦生
~ネットワークをフル活用し事業展開~
岩手県北部海岸沿いに位置し人口約3万6,000人が暮らす久慈市。市の中心部にある久慈駅からクルマで国道45号線を北上し右折、県道279号を10分ほど進むと侍浜町麦生(さむらいはまちょうむぎょう)地区の高台にある芸術村「あーとびる麦生」(Art Ville Mugyo)に到着する。
「よくいらっしゃいました。開村してから今年で7年目になります。運営しているメンバーはみんな気のいい仲間ですから、遠慮せずに何でも聞いてください」と昨年度まで事務局長を務めていた鳥谷峯敏雄(とやみねとしお)さんとメンバーの佐藤孝美(さとうたかみ)さんが出迎えてくれた。
芸術村「あーとびる麦生」へと生まれ変わった
モザイク画制作がきっかけに
~ 地元市民が夢を描いて~
小中併設校であった麦生小中学校の閉校は2009年3月31日のこと。
当時の生徒数は小学生5人、中学生4人。2008年に近隣の小中学校との統合の話が持ち上がり、「学校がなくなっても絵はいつまでも残る」と子どもたちは松林、畑、満開の桜など学校の周りの風景画を描いて残すことを決めた。
ときの校長先生から「指導してもらえないか?」と白羽の矢を立てられたのが久慈市を拠点に活動する画家の熊谷行子(くまがいゆきこ)さんで、現在あーとびる麦生の理事長を務めている。熊谷さんは抽象画の第一人者として県内外でよく知られる存在だ。
児童生徒は卵の殻に着色し制作したモザイク画を残している(写真上)が、その制作指導に熊谷さんは足しげく通ったという。
熊谷さん(写真下)に来意を告げると「私は廃校という言葉は嫌いです。閉校と言ってください。こんなにもすばらしい建物がなぜ『廃』という文字を冠して呼ばれなければならないの?」と言い、続けて「周囲の環境もよく、風景のいい高台に立地するおもむきのある平屋建ての木造校舎は、そのまま閉校にして放置してしまうのはいかにも残念に思えた」と当時を振り返った。
こうして2010年5月、旧麦生小中学校は「あーとびる麦生」として生まれ変わり、彼らの手によって芸術村として運営され現在にいたっている。
ちなみに、事業主体の団体名も施設名と同じく「あーとびる麦生」。熊谷さんを理事長とする任意団体として2010年1月に設立されている。
鳥谷峯敏雄さん(左)と佐藤孝美さん
親しみやすい施設運営と
本物にふれる場をめざす
あーとびる麦生の開館期間は4月から11月末までの8か月間。期間中の土・日のみ開館(10時~16時)し、入場料は無料。
旧職員室は住民交流の場として、また事務室として使用している。廊下は「常設展」の場として、7つの教室は2か月ごとに展示作品を入れ替える「企画展」の場として、ほかの3つの教室では「ワークショップ」を開催している。
図書室だった空間には立体的なアート作品を展示し、音楽室は「ジャズ喫茶」(=ジャズレコードを流して飲み物を無料提供する喫茶ルーム。写真右)として活用。
和室には書道作品を、また2つのホールではインスタレーション(空間アート)作品を展開、体育館にも大型・中型作品の数々がところ狭しと展示されている。
80坪ほどの広さをもつ体育館はまた、大規模イベント開催の場でもある。
今年6月5日には「絆の祭典」(写真下)とテーマしたイベントを開催し459人の観客を集めた。
体育館を使用しての大型イベントは今後もラインナップされていて、9月にはジャズバンドコンサート、10月にはギターライブが予定されている。
さらに、今年10月から11月末まで、また来年4月から5月末(土日のみ公開)までは青森県出身の著名なアーティスト妻神則夫氏による「球体と平面の隣接性・インスタレーション」展示が行われる。80坪もの空間を利用したインスタレーションは今年初開催、「日本最大級」とのことだ。
活用しているのは校舎のみにとどまらない。
グラウンド(校庭)脇にあるもと教員住宅は「ゲストハウス・麦生」(写真下)と名づけられた宿泊施設。来場者また招聘したアーティストなどが利用する。6畳と8畳の和室、台所、風呂、水洗トイレ、電子レンジや冷蔵庫、調理器具、食器が備えられていて、料金は1人1泊2,000円。
「布団のクリーニング代や電気・ガス・水道代など、維持費をお客様に負担いただこうと2,000円にしています。これで利益を生み出そうとは考えていませんし、生み出せる料金設定でないことはすぐにわかりますよね」と話すのは、今年度から事務局長を務めている大平喜美子(おおひらきみこ)さん。「私たちは朝、ここにきたら校舎の掃除とゲストハウスの掃除など、掃除から1日をはじめます」と言う。
以上のように、旧麦生小中学校はあーとびる麦生の手によってそのすべての空間がフルに活用されている。
あーとびる麦生に常時展示されているアート作品は300点あまり、旧更衣室・用具室を利用した作品収蔵室にある作品を含めると400点ほどになる。この数には一定期間で入れ替えられる企画展の作品数は含まれていない。
来村者(来場者ではなく来村者と同施設では呼ぶ)数は2010年1,475人。2011年は震災の影響で844人と落ち込んだが、それ以後は1,639人(2012年)、1,971人(2014年)、昨年2015年は2,878人と右肩上がりの上昇カーブを描いている。2015年の来場者比率は市内74%、久慈市以外の県内16%、県外10%。
一般的に博物館や美術館などが抱えている悩みは、リピーターの確保がむずかしいという点にある。スタティック(静的)であるがゆえに一度見てしまえば再訪しようという動機が来場者から失われてしまうのだ。「貴重で美しい展示物だけれどいつも同じ」では、繰り返し行こうという気にならない。
これを解決するためあーとびる麦生では、前述したように一定期間で展示作品を入れ替える「企画展」を2015年は14回行なっている。加えて「カラー講座」や「陶芸教室」「創作お絵かき教室」などさまざまな来場者参加型「ワークショップ」を52回実施した。
8か月・土日のみの開館期間を考えると、いかに積極的な姿勢をもって運営にあたっているかわかる。「運営プロ集団」を思わせるほどだが、実際は「久慈市内や洋野町、野田村の人など地元住民たちが運営の中心メンバーですよ」と佐藤さんは言う。
実際に館内を見た感想を鳥谷峯さんと佐藤さんに、率直にぶつけてみた。
「地元の人たちのあーとびる麦生ということで今回初めて取材にきましたが、本物のアートにふれたという思いがします。入場無料でやっていけるのですか」(記者)
「文化祭のノリでのやっている施設だと思っていたんでしょう?(笑)。久慈のプロあるいはセミプロ級の人の作品展示が1割ほどで、9割が全国的に名のあるアーティストの方々の作品です。私どもは地元密着の心を大切にして、親しみやすい施設をめざし運営しています。同時に芸術村として本物のアートにふれていただく場をめざしていますので、そう言っていただけると非常にうれしく思います」
昨年、喫茶ルーム前で展開した妻神則夫氏によるインスタレーション(空間アート)作品展示
会員制をとって事業費捻出
~強固なつながり生かす~
あーとびる麦生の事業構造はどうなっているのだろうか?
「建物は市から無料で借りています。そして、会員制をとって運営経費を捻出しています」と鳥谷峯さんは言う。
会員総数は2016年現在175人。正会員80人・賛助会員95人だ。
正会員の入会費は5,000円で、年会費は5,000円。賛助会員はいわばあーとびる麦生の応援団と言え「年会費は3,000円以上いくらでもよく、企業や個人がメンバー。遠くにいて運営に参加できないけれどもがんばってくれという東京に出た方々なども多いですよ」(鳥谷峯さん)
2015年度の収支決算書を見ると、2015年度の総収入は314万5,000円。
会費収入は86万9,160円、募金収入またゲストハウス利用、販売品代金のカンパ(*これについては後述)、2014年度からの繰越金(約37万5,000円)などがその内訳である。
ただしこの100万円は「今年初めていただいたもの」(鳥谷峯さん)であり、体育館の音響機材を整えるための費用として支出されている。体育館の音響機材は「大型イベント開催に必須のもの」であり、収支上はいわゆる「いってこい」になっている。
一方、2015年の支出総額は237万5,894円。
33万円ほどの「事務局経費」、看板修繕や備品購入また作品運搬費やわずかだがアーティストへの謝金などの「事業費」(約155万円)、水道光熱費・電話料金などの「管理費」(約43万円)ほかから構成されている。
「校舎の賃貸料は発生しない」のではあるが水道光熱費はかかる。
「ここ久慈では冬場の暖房費が大きく膨らむので4月から11月までの期間のみの開館にしているのです。そうしないと、いまの収入では運営できないと思います。ちなみに校舎の年間(4月~11月)の電気・水道料は25万円弱、ゲストハウスの電気水道ガス料金は13万円弱です」と鳥谷峯さんは言う。
収支構造をより詳しく見てみよう。
まず、あーとびる麦生が所持しているアート作品約400点について。
「寄贈していただいたものがほとんどです。価値の高い作品が多いわけですが、これらは理事長をはじめ会員のネットワークをフルに使って集めています。画家やアーティストなどのつながりは想像以上に強いんですよ」
次に、年間50数回行なっている「ワークショップ」。ワークショップは材料費の実費を参加者に負担してもらうというという考え方で、500円から1,000円の参加料が中心の価格帯になっている。市内また県内などからアーティストを指導者として招き開催しているが、指導料はできるかぎり無料にしてもらっているそうだ。
企画展や大型イベントなどについてもワークショップと同様、作品を借りることに謝金を支払わない。企画展も大型イベントも参加者から入場料は徴収していない。
「お車代として交通費はお渡しします。ただ、先生たちは共感してくれて受け取らなかったり作品の運搬まで自費で行ってくれたりするんです。もっと言えば、会員になってくださいとお願いして、会費をお支払いいただくケースも珍しくありません。本当にありがたいことです」
来場者が料金を払う箇所は、下駄箱脇の小さな「産直」、廊下にあるメタルアートや絵葉書、皮製品、藁ぞうりなどの「販売コーナー」である。
小さな産直(写真左)では、地元侍浜町の漁師や農家などが朝取りしてきた昆布や野菜などを単価100円程度であーとびる麦生のスタッフが販売している。売上げは「全額」生産者に手渡しているそうだ。生産者は売上げの一部を「運営の足しにしてくれ」と寄付してくれる場合もある。
販売コーナーにあるメタルアートや皮製品、藁ぞうりなどを制作したアーティストはあーとびる麦生の正会員である。また、絵葉書には「野鳥」などの写真がプリントされているが、これはプロ級の腕前をもつ鳥谷峯さんと佐藤さんが撮影し制作したもの。「これらのすべての売り上げはあーとびるへカンパしています」と2人は言う。
そのほか「募金箱」が施設内の各所に置かれていて「来場者の善意」を期待している。寄付金やカンパなどを含めた募金の総額は約58万円(2015年度)であり、会費収入とならび大切な収入源になっている。
楽しさと信頼関係で結びつく組織
~ 徹底的な議論が必要不可欠~
あーとびる麦生の運営は事業主体が雇った専従スタッフが行なっているのではない。
「主体になって運営しているのは正会員です。土日ごとに施設に貼りつく当番は決めていますが、当番以外の正会員も都合がよければ土日ここに集まってきます。賛助会員もきてくれたりします」と言う鳥谷峯さん。もちろん給料など支払われていない。手当てされるのは当番へのクルマのガソリン代補助だけ。
会員になって運営しているのだから「毎年、料金を支払って労働力を提供している」と言い換えることもできる。
ここまで見てくるとあーとびる麦生の事業のあり方がよく理解できる。
すなわち、人々に本物の芸術・文化にふれてほしい、芸術・文化を通して地域を盛り上げたいとの思いが強烈に貫かれている廃校活用事業なのだ。旧職員室に集まっていた会員たちは「久慈はいいところだね、すばらしいアートを見せてもらってありがとうと言われることが楽しくてやっているバカの集まりですよ」と謙遜する。大平事務局長(写真右)は「12月から3月までの冬休み期間はとてもさびしい」とつけ加えた。
2015年度の来村者は前年比146%の2,878人。2015年度からの繰越金は76万9,149円となり、前回決算時の37万5,151円とくらべ2倍以上になった。
数字の大小をどのように見るかについては意見が分かれるところだと思うが、事業として「発展している」ことは確かである。いまは無償のスタッフらによって支えられているけれど、将来的には雇用を生み出す仕事場として成り立っていく可能性もないとは言い切れない。もちろん彼らがそれを望むかどうかはわからないのだが。
いずれにしても熊谷理事長は「命ある限り継続させる」との決意であるし、鳥谷峯さんは「若い人、後継してくれる人をきっちりとつくりたい」と話している。
最後に、地域住民らで廃校活用を考える場合の留意点について聞いてみた。
「地元の人たちですから、当初はどうしても意見が百出すると思います。船頭が多いという状態になるのですがこれはいたしかたないことでしょう。ですから、最初に徹底的に議論を重ね、一つひとつ課題をクリアしていくことが大切だと思います。あーとびるの場合も命令系統がはっきりしないとかトップダウンの組織にするべきだとかギクシャクしたことがありました。結局、楽しさと信頼関係で結びつくいまの組織のあり方に安定させるまで2年くらいかかり、その間にメンバーもだいぶ入れ替わっています。ただ、こうした議論を避けて通っていたならば、あーとびるはおそらく空中分解していたと思います。これくらいしか言えることはありませんが、地元久慈のためにもみなさんの閉校活用が成功するように願っています」と話す一同だ。