小中学校の廃校活用を考えよう -その2

Bird’s- eye view 
小中学校の廃校活用を考えよう -その2
ケーススタディに見る再生と運営の実際

 
                                                            2016.103

イメージ 19今回レポートするのは、津軽海峡を臨む青森県今別町(いまべつまち)の住民らによる廃校活用のケース。高齢化が進む町を、古くから続く郷土芸能によって活性化させようという思いにあふれた施設だ。




ケーススタディ2 旧大川平小学校
笑顔かがやくまちに 荒馬の里資料館
  ~ 本州最北端の新幹線駅がある町で ~

 2016年3月26日、青森県と北海道を結ぶ北海道新幹線が開通し多くの町民がこれからの町の発展を願った。本州最北端の新幹線駅「奥津軽いまべつ駅」は今後、観光振興や産業振興の顔になるだろう。イメージ 2奥津軽いまべつ駅からクルマで15分ほど津軽海峡方向に進んだ「青函トンネル入口広場」では、鉄道ファンやカメラを手にした多くの観光客が盛んにシャッターを切っている。
 本州と北の大地を1時間5分で結ぶ奥津軽いまべつ駅がある青森県今別町は、海岸線に向かって傾斜する半すり鉢状の地形を有する2,900人が暮らす町。
 県庁所在地である青森市から国道280号バイパスを北上し、県道12号・14号をたどってめざす「荒馬(あらま)の里資料館」に着いた。ここは旧大川平(おおかわだい)小学校を活用した施設だ。
       
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     荒馬の里資料館は大川平小学校の校舎を活用して2004年8月オープンした


400年あまり踊り継がれる
久慈市とのゆかりも ~

 荒馬の里資料館に向かう沿道には、8月4日からイメージ 37日まで行なわれる「荒馬まつり」の幾本もののぼりが清々しいそよ風になびいている。
 同町の郷土芸能「荒馬」(あらま)は、馬役の男性と手綱取りの女性の2人がペアで踊るもの、青森県無形民俗文化財指定を受けている。荒馬まつりでは、子供会や町内会また町内各地区の荒馬保存会が荒馬を跳(は)ねて、大きな扇に武者の絵を描いた「扇ねぶた」の山車を先導してラッセラーのかけ声とともに通りを練り歩く。
 「踊る」ことを荒馬では「跳ねる」と言う。馬が暴れる姿を男性が演じ、それを抑えきれなくなった女性が手綱を放してしまうというストーリーが舞われる。それだけ激しくダイナミックな踊りであり「跳ねる」という表現が使われるのだそうだ。男女ペアで舞うことから荒馬まつりは、縁結びまた夫婦円満の祭としても知られている。イメージ 4
 荒馬の起源はこの記事を発信している筆者のふるさと岩手県久慈市とゆかりが深い。
「久慈出身の大浦為信(おおうら ためのぶ)が天正13年(1585年)津軽を統一しました。為信は藩の経済を保つため馬と農耕を結びつけて農作物の増産を図ったんですね。当時の今別町民にとって馬は、農民とともに汗を流してきた宝。苦労をともにしてきた馬の姿を現して、現代まで踊り継がれてきたのが荒馬なんです」と笑顔で迎えてくれたのは嶋中卓爾(しまなか たくじ)さん。
 嶋中さんは「荒馬の里資料館」の館長であり、「大川平荒馬保存会」の会長を務めている。

荒馬を活性化資源に
~住民が計画立案~

 今別町大川平イメージ 5地区にある「荒馬の里資料館」は、2004年3月に閉校した大川平小学校を利用して同年8月5日にオープンさせた施設。校舎は改修工事などのリニューアルは行なっておらず、往時の学校の姿そのままで活用されている。
 入口から体育館まで続く廊下には大川平地区の荒馬で使う道具や衣装また歴史資料、写真などを展示。
 今年3月29日には旧職員室を使用して16席の「食処荒馬」(写真左下)を開業。食処荒馬では同町の特産である“もずくうどん”やイワナニジマス定食などを提供している。
イメージ 6 教室は来場者や住民たちの集まるサロンとして、また別の教室には今別町のキャラクター「あらまくん・たずなちゃん」を展示。ちなみに、あらまくんとたずなちゃんの誕生日は2013年8月4日で、大川平荒馬保存会のメンバー嶋中佳子さんが考案し当時の町長との協力のもと町のキャラクターにした。
 体育館は荒馬を伝えるメイン展示館である。館内には大型スクリーンが張られ荒馬まつりのビデオを上映。そのほか実際に荒馬まつりなどで使われる大きな太鼓が十数個、また山車に載せる「扇ねぶた」などが掲げられている。
 屋外を見ると、校舎前にはイワナニジマスが泳ぐ「日本一わんつかな釣堀り」が設けられている。以前はプールを活用した釣堀りイメージ 7を営業していたが、現在は「わんつか」(同地の言葉で「少ない」あるいは「小さい」という意味)なスペースの釣堀りに切り替えた。
 グラウンドの一角にはウサギ、豚、ヤギが遊ぶ「どうぶつふれあい広場」、またすべり台など子ども用の遊具が置かれる。草を綺麗に刈り取ったグラウンド一面はキャンプ利用の受け皿としても活用する。
 なぜ旧大川平小学校を荒馬の里資料館へと転生させたのか?
イメージ 8「私も大川平小学校の卒業です。当時の児童は15人ほどでしたが閉校と聞いたときにはとても悲しかった。2000年前後に今別町内の大泊(おおどまり)小学校、開智(かいち)小学校、二股(ふたまた)小学校があいついで閉校したのですが、それらの校舎が使われずに2、3年のうちにボロボロになっていく姿を見ているのがさびしくて……、地域のみんなの心のよりどころを何としても残さなければいけないと思いました」
 そこで、「大川平荒馬保存会」(以下・保存会と記述)の会合で「荒馬の資料館としてわれわれが校舎を使わせてもらおうじゃないか」と嶋中さんは提案した。
 結果、全員が賛成し、事業主体・運営は嶋中さんを館長とする「荒馬の里実行委員会」(以下・実行委員会と記述)にすることを決めたと言う。
 ここでまで見てわかるように、大川平荒馬保存会(会長・嶋中さん)と荒馬の里資料館を経営・運営する実行委員会はほぼ同じ組織であると見なしていい。
 しかしながら厳密に区分すれば、イメージ 9保存会は大川平地区の住民や今別町内各地区の住民また青森市内の人など78人から構成される組織である。一方、実行委員会は保存会のメンバーの中の大川平地区の住民30人から構成される。したがって、実行委員会は地元住民の組織と言える。
「話し合いの場で活用することに反対した人は一人もいませんでした。それだけ当地では荒馬が中心文化になっていますし、荒馬を通して住民の結束も固いのです」(嶋中さん)
 実行委員会では2004年4月、町役場に計画を申請。書類づくりは嶋中さんを中心に数人のメンバーで行なった。
「施設コンセプトは『伝統芸能を保存してグリーンツーリズムに寄与する』としました。役場から求められたのは校舎の利用計画と収支計画。利用計画とはどこにどのような機能を配置するかという図面。また、収支計画は長期計画ではなくて単年度計画でOKでした。手にあまるほどむずかしいものではありませんから、ここに限らずほかの地域でも地元の人たちで十分に作成できると思います」
 こうして2004年8月5日、荒馬の里資料館はオープンした。
イメージ 10 さて、今別町の2016年5月31日現在の人口は2,886人、1,496世帯。
「町の高齢化率は48%と聞いています。青森県でいちばん高齢化が進んでいる自治体だと県紙(地元新聞)などに書かれることも多い。大川平地区のいまの人口は500人・200戸ほどですが、以前は800人・300戸ありました。だから今別町また大川平を活気ある地域にしていくためにも外からお客さまを呼び込む施設をつくらなければならない。このまま何もしなければ衰退していく一方だと活用する意義を訴えたわけです」(嶋中さん)と言うように、背景には進む高齢化への強い危機感があった。
 今別町役場に聞いたところ「人口の約半数が60歳以上の高齢者です。約3,000人の人口のうち、60歳以上の方が1,500人いると考えていただければ高齢者の多さを想像しやすいのではないかと思います」と嶋中さんの言葉をうらづける言葉が返ってきた。

減少から回復そして激増へ
~新幹線効果にらみ収入軸構築~

 では、荒馬の里資料館の事業的側面を見てみよう。
 オープンから昨年までは4月1日から10月末までの土日のみの営業だったが、今年から同期間毎日の無休営業にすることを決めた。以前と同じく10時から15時までの開館で、入場は無料。イメージ 11
 運営に当たっているのは館長の嶋中さん、実行委員会メンバーの男性1人、女性2人の計4人。食処荒馬では館長自らも魚をさばき提供する。なお、食処荒馬や釣堀りのイワナは嶋中さんが山のふもとで養殖しているものだそうだ。
 来場者比率は県内80%、県外20%。年齢層は60歳以上が50%、青年層30%、子ども20%。
 オープンしてから数年間は年間400人ほどが来場したというが、年々その数は減少し「一昨年はほとんどお客さまがこない状況」(嶋中さん)になった。
 事業費はどのように捻出しているのだろう。
「校舎は町から無料で借りています。電気代・水道代の年間費用は計10万円。トータル支出は細かいもの含めると年間12万円前後になります。収入は、入口に募金箱を置いていましてそれが年間約2万円。釣堀り収入は微々たるものです。ほかには管理費として町から5万円をいただいています。したがって合計収入は年間7万円少々。年間収支はマイナス5万円ですね。保存会に迷惑をかけるわけにいかないので、マイナスぶんは私が(実行委員会として)補てんしています」(嶋中さん)
 赤字状況のなかで営業を今年から毎日に切り替え、食処荒馬を新設したことに驚くのは筆者だけではないだろう。
イメージ 12 変化は突然訪れた。来場者数は昨年、年間200人までに回復。今年は4月300人、5月300人、6月300人、そして7月は400人になった。8月は荒馬まつりが行なわれることもあり500人の来場を見込んでいる。まさに「激増」の一語である。
「新幹線駅は今年3月26日の開業ですが、当資料館も駅開業前からテレビ、ラジオ、新聞などで紹介されることが多くなり、それをきっかけに旅行会社などが当施設を津軽半島の観光コースに組み入れてくれるようになりました。団体旅行の大型バスが横づけされるようになったんです」
 実は嶋中さん(58歳)はこのタイミングを数年来にらんでいたと言う。
「元気に動ける若いうちに資料館に力を注がなければならない」と嶋中さんは一昨年、それまで勤務していた建設会社を退社。町から土地を借りて新たに「ブドウ園」(写真右下)をはじめた。
 ブドウ園は荒馬の里資料館から500メートルの距離。資料館の来場者にこのブドウ園を「観光農園」として利用してもらう計画で、来年のオープンに向けて着々と準備を進めている。イメージ 13「ブドウは資料館でも販売しますし、ジュースなどに加工して町の土産品として買っていただく」と嶋中さん。すでにブドウジュースは食処荒馬での提供(150円)をはじめている。
 荒馬を多くの人に知ってもらいたいので資料館の入場料を徴収するつもりはないと言うが、このブドウ園のように新たな収入軸をふやしていくことで運転資金を確保し、資料館をさらに充実させ集客増を図るビジョンを描いている。
 また、来年のゴールデンウィークには大川平地区の高齢者のための祭りも開催する予定だ。「のど自慢大会をしたり歌手を呼んだり、出店を開いたり、イワナのつかみ取り大会をしたりして子どもたちの歓声が響きわたるような内容を考えています。子どもの笑顔はお年寄りも笑顔にしますから」

若者をひきつける力

 余談ですがとことわりながらも、嶋中さん(写真右下)は次のようなエピソードを語ってくれた。イメージ 14
「もともと大川平では青年団が荒馬を受け継いできました。青年団が高齢化したので保存会が彼らの活動を引き継いだのです。保存会を結成したのは昭和59年(1984年)ごろのこと。しかし、その保存会も高齢化が進み荒馬がとぎれそうになったんです」
 そのときに、助けてくれたのが立命館大学の学生だったという。「荒馬を教えてください」と数人が訪れた。17年前のことだそうだ。
「もちろんわれわれ保存会は大歓迎でした。荒馬は激しく跳ねるので高齢者がそれを続けていくのはキツイわけです。次の年は訪れてくれる学生が倍になり、その次の年にはまたその倍になりました」(嶋中さん)
 彼らの口コミによって徐々に学生の間に拡がっていった荒馬は、いまでは立命館の学生だけでなく名古屋大学やアジア太平洋大学の学生など総勢70人ほどが荒馬まつりを盛り上げようと8月初旬、大川平に集ってくるという。大川平だけではなく今別地区の荒馬保存会にも宮城教イメージ 15育大学の学生らが応援に駆けつけてくるそうだ。
 高齢化が進む今別町にとって、若い大学生のパワーは同町に活性化をもたらしてくれる希望の光である。
「荒馬がなければ、若者が当地に目を向けてくれることはなかったかもしれません。だから私は荒馬を大切に守る。荒馬の力を信じています」と嶋中さんは結んだ。
                        
                        新幹線駅に隣接する道の駅アスクル

いまべつ牛など
新たな特産品開発も

 今別町には廃校を活用した施設がもう1か所ある。 
 袰月(ほろづき)海岸を見下ろす高台にある「海峡の家ほろづき」(写真左下)は、旧袰月中学校を今別町がリニューアルして宿泊・温泉施設として活用している町営施設だイメージ 16。町から委託され運営にあたっているのは地元袰月地区の住民らが組織する「舎利浜(しゃりはま)研究会」。
 施設内の温泉(泉質・炭酸カルシウム人工温泉)と大広間は、海峡の家ほろづきの魅力を高めるために昨年4月に町が整備を開始、昨年8月から新たに利用できるようになった。これも荒馬の里資料館と同様、新幹線効果を見込んでのことである。
 新幹線駅開業がどれほどの効果をもたらしているのか指標になる数字をあげてみよう。
 新幹線駅に隣接している「道の駅いまべつ 半島プラザ アスクル」は駅開業以前から同立地で営業していたが、新幹線駅の開業を機に利用客数を大きく伸ばした。
 開業前年の2015年4月の客数は4,800人、2016年1月4,560人、2月は5,810人だった。開業月の今年3月の利用客数は1万9,630人、4月は2万1,830人、5月2万6,860人と開業を境にして桁違いの数字を記録するようになっている。
イメージ 17 今別町役場・企画課の古村優斗(こむら ゆうと)さん(写真左)は「新幹線駅ができたことは当町にとって大きなチャンスです。さまざまな町の資源をPRすることで、より多くの人に訪れていただけるようにしたいと考えています。おいしい食べものが今別にはたくさんあるのですが一例をあげるならば、町長以下全員で『いまべつ牛』(黒毛和牛)を特産品にしようとはりきっています。生産数をふやして町の産業活性化にもつなげたい。道の駅アスクルでは、いまのところ数は限イメージ 18定ですがステーキや焼き肉を提供していて好評です。自然が豊かで食べものがおいしい今別、荒馬などすばらしい伝統芸能がある今別を今後も積極的に訴えていきます」とコメントしてくれた。


 

*取材2016年7月26日 記事作成・宇部芳彦(久慈市地域おこし協力隊)