小中学校の廃校活用を考えよう -その4

小中学校の廃校活用を考えよう -その4<森の巣箱・下編>

ケーススタディに見る再生と運営の実際            
                                                              2016.10.5

イメージ 1 旧床鍋小中学校を活用した「森の巣箱」は、集落全員参加で地域の活性化拠点として立ち上げた施設。前回その3では校舎活用の経緯とその詳細についてレポートした。今回は完全自立する森の巣箱の運営の実際、そして第2ステージの活動「集落福祉」についてお伝えする。




ケーススタディ3 旧床鍋小中学校
日本一幸せな集落へ  森の巣箱(下)
 ~ 森の巣箱は歩み続ける  ~

住民みんなが施設オーナー
 ~ 買い支え制度導入 ~

 高知県津野町の旧床鍋小中学校をイメージ 2活用した「森の巣箱」、前回<上編>では活用までの歩みを詳報した。
 森の巣箱は住民らの100回を優に超える議論を経て2003年4月にオープンした施設。当時(2003年)の床鍋集落の世帯数は44戸・人口131人、オープン当初から住民らによる完全自立経営のもと運営が行なわれている。
「床鍋は店がないので食料品や日用品など生活に困らんようにしたい」という意見から「コンビニ」を盛り込み、「店があっても重いもんはよう買うていかん、足が痛い」という声から「宅配サービス」も導入した。ちなみに、1件だけあった集落の店は20年ほど前になくなっている。
 また、「みんなで飲む場所がほしい」という声に応えて「居酒屋」を、「帰省したもんが泊まれる場所があったらええかも?」との意見から「空き教室を泊まれるようにしちょいたら誰がきても心配せんでもええわ」と「宿泊」機能を盛り込んだ。
 つまり、地域コミュニティを再生させる住民の拠点施設が森の巣箱のコンセプトである。
イメージ 3 運営は集落の住民全員が名を連ねる「森の巣箱運営委員会」が行なっている。
 運営委員会の組織は施設長の大﨑登氏を「会長」として、「営業部長」「業務部長」「居酒屋部長」「環境部長」「温泉部長」「応援部長」「体験部長」「調理部長」などから構成される。現場には施設長、またコンビニや宿泊施設など全体を切り盛りする施設職員(正職員とパートでこの2人には給与が支払われている)がはりつき、そのほか適宜、調理担当、居酒屋担当、屋内清掃担当、屋外清掃担当などが稼働して施設を支えている。もちろん、彼らのすべてが集落の住民だ。
 大﨑施設長は頭をかきながらこう話す。
「オープン数か月前のことですが村の担当者と話をしていたら、準備は順調に進んでいますかと聞いてきたんです。え?と聞き返しました。当面の運転資金のことが頭から抜け落ちていたんです」
 コンビニの仕入れや酒の仕入れ、備品や消耗品などの購入に必要な当初の資金は400万円と計算された。そこで、運営委員会は1世帯につき10万円の出資(10万円×約40戸=400万円)を要請する。
「みんなで夢を語り、みんなの希望どおりに村が校舎を改修してくれたのではないか。これからいい暮らしをしていくためにがんばって出資しようと説得したのですが、みなさんは下を向いたきり何も答えてくれませんでした」(大﨑施設長)
 こうした会合を数回もったが結論はでず、最終的に「以前売った集落林の売却金が(集落に)600万円プールされている。このうちの400万円を運転資金として活用させてほしい」と提案し賛同を得たイメージ 4と言う。したがって、集落すべての住民が森の巣箱のオーナ(出資者)と言える。
 当面の運転資金は確保できたものの、絶対人口が少ない床鍋。とりわけコンビニの維持が危ぶまれた。そこで運営委員会は各戸と購買協定を結ぶ。安定した売り上げを確保するための「買い支え制度」である。
「たとえば4人家族の家であれば、月額5万円の買い物をしますと申告してもらうわけです。同じように、一人暮らしのおばあちゃんであれば5,000円といったように」(大﨑施設)
 このような運営体制を構築して2003年4月20日、森の巣箱はオープンに漕ぎつける。
 地元新聞は「卒業生ら“入学式”」の見出しで森の巣箱の門出を報じた。入学式とはつまりオープンセレモニーのことで、再び集落に人を呼び戻したいとの思いが込められた入学式だったとその記事は伝えている。
イメージ 5 ちなみに、コンビニは全国チェーンのものではないし居酒屋もしかり。そうであれば単に「店」であり「呑み屋」という呼称であってもいいのだが、これは大﨑施設長が住民のローカルプライド(=この地に住んでいてよかったと思う気持ち)を高めるため「おらのところにはコンビニも居酒屋もあると自慢して歩こうよ」と決めたもの。
 また「森の巣箱」のネーミングも大﨑施設長の提案による。住民から公募して検討したが、学校だったということから想起して「明日への希望へと羽ばたく場所、そしていつでも戻ってくることができる温かい場所」にしようという大﨑施設長の「森の巣箱」をみんなで選択した。
「これからは田舎だとバカにされなくてすむようになるかもしれん」と住民らが待ち望んだオープンだった。

夢が現実になった!

 しかし、想定外の事態に住民らは悲鳴を上げイメージ 6ることになる。
 森の巣箱はオープン初日からマスメディアに取り上げられ、やがて旅行雑誌などにも紹介されるなどして宿泊の予約が殺到。初年度の宿泊客数は1,500人を数えた、住民の15倍もの人々が森の巣箱をめざしてやってきた計算になる。
「事前に接客訓練などしていませんでしたからまさにパニック、こんな山の中の何もないところにどうしてこんなに人が押し寄せてくるのだろうかと不思議でした。集落の会合のときに“日本中の人が集まる場所になるといいね”と言っていたまさかの夢物語が現実になったんです。いまでは台湾やアメリカ、イギリスなど海外からお客さまがきてくださることもあります。いろいろな人たちと会話ができ毎日がとても楽しいですよ。以前の床鍋にはもう戻ってほしくありません」とレジを打ちながら笑顔で話してくれたのは従業員の大﨑智子(おおさき さとこ)さん(写真右上)。
 初年度だけでなく宿泊客数は数年間1,000人を超え、その後もおおむね600人から1,000人の間で推移。したがってコンビニの「買い支え制度」は現在、継続させていない。地域住民だけが購入するわけではなくなったため、継続させる必要がなくなったからだ。
 しかし、前述したようにもともと森の巣箱は住民のための施設として立ち上げられたものだ。
イメージ 7 なぜ、これほど多くの人が訪れるのだろうか?
 森の巣箱のリピーター率は5割ほどとのことだが「居酒屋が楽しかったからまたきた」と来場者は口にしているという。
 ちなみにこの記事の取材日(8月8日)には夕方から三々五々、住民7人ほどが客として居酒屋に集まってきた。自らを「じい」と呼ぶ山﨑正氣(やまさき せいき)さんもその一人で、大﨑施設長が「この居酒屋の番頭格です」と紹介してくれた。
「じいはようわからんけど、岩手の久慈というとあの『あまちゃん』の久慈かいな?東日本大震災はたいへんだったでしょう。床鍋は今日38℃だったけれど、あちこち取材で動き回っていてたおれんかったか。四万十川の水もきれいだけれど新荘川のほうがきれいだとじいは思う…」など1時間ほどあれこれ話したが、集落の人たちと会話するのと同じようにわけ隔てなく語りかけてくるじいの素朴な高知弁がここちよく、床鍋の人たちと昔から友人だったような錯覚を覚えた。イメージ 8
 どこの観光地や自治体でも「自然、食、ヒトがすばらしい」とPRするケースが多い。しかしながら旅先から戻ってみれば、土産物屋の店員と話をした記憶ぐらいしか残っていないことに気がつく。夜はホテルで鍵を受け取って寝るだけ、酒場に寄ったとしても土地の人と会話を弾ませる機会にそうそう恵まれるわけでもない。
 その点、森の巣箱宿は宿泊者の食事を居酒屋で提供しているため、仮にアルコールが飲めない人であったとしても、地元住民たちが交わす会話の輪の中に自動的に組み込まれていく。図らずも森の巣箱は、地域の宝「ヒト」を活かす集客装置を備えた施設になっていると言えよう。
 しかも、ここで出会った男女が結婚することもあるそうだ。
イメージ 9「これまでに森の巣箱で結婚式を挙げたカップルは5組で、彼らはその後も毎年きてくれています」と言う大﨑施設長。披露宴は校庭や旧講堂「やまがらホール」で行なっており、新郎新婦の関係者らが外から多数かけつける。こうした宴のプロデュースも、森の巣箱の売りの一つである。
 結婚式だけではなく、森の巣箱はイベントにも積極的だ。
 オープン2年目には床鍋の自然を生かした「ホタルまつり」(写真上)を開催。校庭でのステージイベントや徒歩5分の距離にある神社でのホタル鑑賞会が好評を博し、ホタルまつりはいまや県内外から1,000人以上が来場する床鍋地区を代表するイベントとして定着した。
 ほかにもこれまで、お盆の帰省時期に合わせた「床鍋夏まつり」や「野外映画上映会」、森の巣箱に合宿にきた音楽グループの「フルートコンサート」、住民や来場者を対象とした「ダンス教室」など、さまざまな機会を捉えて数々のイベントを展開してきた。
 今年10月22日には、津野町を含めた周辺5町村の男性と県外からの女性が参加する「大型婚活」イベントも初開催する予定になっている。
 では、森の巣箱の経営状況を数字で見てみよう。
 宿泊者1,500人を記録したオープン初年度の総売上げ(コンビニ、居酒屋、宿泊)は1,500万円で、イメージ 101,000万円を超える売り上げはその後4年間続いた。オープンから10年以上を経た近年は700万円前後になっている。ただし、宿泊売上げに反映されない新たな森の巣箱ファンもふえている。一例をあげるならば、数年前から訪れている100人を超えるオフロードバイクのグループ(写真右)がそれである。彼らは野宿に慣れていて持参したテントを校庭などに張って寝起きするのだという。もちろん森の巣箱は、集落に活気をもたらしてくれる彼らを喜んで迎え入れている。
 昨年度(2015年度)の総売上げ(コンビニ・居酒屋・宿泊の3部門)は710万円で、コンビニ・居酒屋・宿泊の売上比率はおおむね3・3・4の割合になっている。仕入など原価は470万円、したがって粗利は240万円ほど。ここから人件費と電気・ガス・水道代などを引く。
「結果、昨年度は3万円の赤字でした。しかし、維持するために稼ぎ出しているほかの収入があります」と大﨑施設長は言う。
 それは、その3<上編>でふれた「ボランティアではじめた県道の支障林伐採」のこと。これがいまでは県の土木事務所からの「県道清掃受託事業」(写真右下)に発展している。
 床鍋から須崎市へ続く7Kmほイメージ 11どを毎年7月と10月の年2回、床鍋の住民が総出で清掃にあたり100万円ほどの収入を稼ぎだしている。これを赤字が出た場合の補てん、そして次の展開への運営資金にあてていると言う。
「みんなで施設を維持して、みんなで地域活性化に取り組み、多くの人が床鍋にきて喜んでくれる。その結果、住民は床鍋に住んでいてよかったという実感をもって幸せに暮らしていける。繰り返しますが、儲けるというよりも維持していくことが集落の活気づくりにはいちばん大切なことだと思っています」と大﨑施設長。床鍋は津野町の中でも、そして津野町内にとどまらず県内でもいちばん元気な集落になったとの自負をにじませる。

これが床鍋式デイサービスだ!
~内を強化する地域づくり第2章 ~
 
 誕生からの10年間を第1ステージ、それ以後を第2ステージと呼ぶならば第1ステージは「外」から人を呼び込んでの地域活性化路線を歩んできたと言えよう。   
 第2ステージに突入している現在は「外」とともに、いわば「内」を充実させて集落の活気を引き出す戦略をとっている。イメージ 12
内の充実とは「日本一幸せな集落を実現し全国発信する」との決意のもとに「集落福祉」を新たなミッションに加えたこと。大﨑施設長(写真右)は2013年からを「地域づくり第2章」と呼ぶ。     
 さて、森の巣箱が誕生した2003年当時の床鍋集落の世帯数は44戸、人口は131人でうち60人が高齢者(高齢化率45.8%)、中学生以下の生徒児童数は9人だった。
 しかしこの間にも人口減少・少子高齢化は進んだ。現在(2016年7月)、集落の世帯数は36戸・人口は89人に減少、89人のうちの高齢者数は43人(高齢化率48.3%)。しかも、36戸のうち高齢者の一人暮らし世帯は12戸、また中学以下は5人になっているそうだ。
「あるときおばあちゃんから、電気が点かなくなったと連絡が入ってきました。電球ぐらい自分で取り換えられるだろうと思うでしょうが、高齢者にとってはこんなちょっとしたことでも負担になっていた」と言う大﨑施設長。
 一般家庭でも隣近所と話さなくなったということが不安材料になっていたそうだ。
「子どもがいれば学校のことなど共通の話題で親どうしが会話する機会もあるのですが、子どもが少なくなりその機会がほとんどなくなったんです」(大﨑施設長)
イメージ 13 そこで、3年ほど前に床鍋地区は地区長、民生児童委員、福祉委員、津野町社会福祉協議会、法政大学実習生などの協力を得ながら森の巣箱を拠点にして、地区全世帯を一軒一軒訪問し悩みごとや不安を聞き取った。
 高齢者らの答えは「なにかのときは森の巣箱に相談に行く」「遠くの身内より近くの他人」、そして助けを必要とする特別な存在になることに抵抗を感じていて「頼るより頼られたい」など、「不安」だけど「自立」したいという意見が多数を占めたそうだ。
 これを受けて高齢者だけでなく集落全体の「安心」「安全」を考えようと、前述した聞き取りメンバーまた集落住民が「やまがらホール」に集まって話し合い「求められているのは緩やかな見守り」という結論を導きだした。地域福祉活動計画「床鍋地区アクションプラン」であり、床鍋地区全世帯の安心・安全情報を共有した見守りと助け合いの緊急連絡カード『お守りカード』(写真左上)を作成し、このカードを集落の全戸に配布して森の巣箱に集約することが決められた。
「つまり、森の巣箱が集落の情報センターになっているわけです」(大﨑施設長)
 お守りカードには個人情報や家族構成、かかりつけ医、緊急連絡先、そして「いざというときに助けてくれる人」を記入、隣近所で見守りあう契約になっている。お守りカードの取組みとともに、集落一斉の避難訓練イメージ 14もはじめた。
 あわせて森の巣箱では一軒一軒の位置が書き込まれた集落地図も作成。地図上の一軒一軒にはその家で暮らす全員の名前と避難場所を書き込んでいる。
 なお、このお守りカードの情報は更新している。8月8日に森の巣箱を訪れた法政大学現代福祉学科3年生の坂元将也(さかもと しょうや)さん(写真右)は一週間、森の巣箱に宿泊してお守りカードの情報確認・更新を手伝うのだと話してくれた。
「大学のコミュニティスタディ実習できました。必要があれば集落のみなさんのお宅を訪問してヒアリングし、お守りカードを改めます。地域の人たちは高齢化や過疎化イメージ 17を自らの課題として取り組んでいてかなり苦労しているのだと思いますが、みなさんがとてもあったかい。個人的にも森の巣箱、床鍋のリピーターになりたいと思っています」(坂元さん)
 大﨑施設長は森の巣箱で取り組んでいる集落福祉活動を「床鍋式デイサービス」と呼ぶ。
 一般的に言う「デイサービス」とは、食事や入浴などのイメージ 15日常生活上の支援や生活機能向上のための機能訓練などを提供するサービスのこと。あえて割り切った言い方をするならば、提供側による「上げ膳・据え膳」とも言えるようなサービスで、高齢者にとっては受動的なサービスである。
 しかし、森の巣箱のめざす床鍋式デイサービスは「活動的で元気にすごせるように」、高齢者の能動的な行動を引き出して健康を維持しようとするものだ。
 本シリーズのその3<上編>でもふれたが、JAから受託した「ししとうパック詰め選果場」(*左上写真の手前の建物)を森の巣箱ではオープン2年目に設けて高齢者の働く場としている。作業を通じて交流でき、報酬も「月3万円くらい、多い人では8万円近く」(大﨑施設長イメージ 16)もらうとのこと。
 加えて今年2016年春からは、耕作できなくなった集落内の田を借りて米づくりを開始した。秋には一緒に汗を流した人たちでわけ合い、収穫の喜びを味わいたいと言う。
「私たち床鍋の住民はみんなの意思決定で森の巣箱をつくり、協働で運営してここまできています。そして安心・安全な地域、日本一幸せな集落をめざします。そうすれば床鍋に住みたいと思ってくれる人もでてくるでしょうし、住んでいるわれわれも胸を張って生きていける。そりゃあ昔は不便なところでしたが、いまは不便なことなどありません。これからも明るく元気に、床鍋に住んでいて幸せだなと思う毎日を送っていきます」と話す大﨑施設長だ。


*取材2016年8月8日・9日・10日
 記事作成・宇部芳彦(久慈市地域おこし協力隊)