シリーズ移住定住 その4 プロセスが若者ひきよせる

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シリーズ移住定住
若者とシニアが集まるまちへ
 
シリーズ移住定住【その4】 2017.3.21
 プロセスが若者ひきよせる
  
             尾道空き家再生プロジェクト

   瀬戸内の海を臨む坂のまち尾道。このまちを愛し活動をはじめた一人の女性の思いが大きな輪になって、多くの若者をひきよせている。
   一度こわしたら二度と取り戻せない風景…、空き家の再生を通して展開される数々の活動がこのまちの輝きをいっそうあざやかにしている。



坂と路地がつくる独自の景観

イメージ 2 古くから瀬戸内海の尾道水道に面した交通の要衝として栄えた尾道市。もともとお寺しかなかった陽あたりのよい山手と呼ばれる高台に、当時の豪商たちはこぞって茶園(さえん)と呼ばれる別荘を建てたという。
 明治に入り鉄道が敷かれると、本州の物資を集めて四国や九州への物流拠点としていっそうの繁栄を築き、ハイカラな洋館つき住宅や旅館、長屋などさまざまな建物が斜面地にへばりつくように建てられていった。
 尾道市の現在人口は約14万人。海に面した山陽線尾道駅南側には尾道水道と並行するようにアーケードが架けられた商店街が東方向へとのび、西方向には向島因島などへの客船が発着する近代的なポートターミナルビルそして桟橋の風景が広がっている。かつての倉庫群は自転車ごと宿泊できるサイクリストホテルがビルトインする複合商業施設へと活用されている。
 一方、駅北側の山手はクルマはおろかバイクでも入れないイメージ 3ような坂と細い路地が迷路のように入りくみ、その路地沿いにはさまざまな時代の建築物が立ち並んでいる。さながら、建物の博物館とでも表現すべきようなエリアだ。
 海そして坂と路地がつくりだす趣きある独自の景観は、このまちの存在をきわだたせている。
 しかし、山手の斜面地や平地の路地裏、商店街の空き店舗などを含めると駅から2km圏内に500件近い空き家があるのだという。
 その多くが長年の放置によって廃屋化してきており、不動産事業者も取り扱わないほどに価値が低いとみなされる物件も少なくない。さらに、接道義務(幅員が4メートルないし6メートル以上であることが要求され、原則として幅員4メートル未満のものは建築基準法上では道路として扱われない)を求める現在の建築基準法によって、一度こわしてしまえば建て替えまた新築は不可能になってしまう、それほどに細い路地に建てられた建築物が多い。


一人の主婦の決意から
スタートしたプロジェクト

 空き家の再生を通してまちなみの保全と次世代コミュニティの確立をめざし、多くの若者移住者を呼び込んでいるNPOが、このまちで活動している。「NPO法人尾道空き家再生プロジェクト」(以下、NPOと記述)だ。
 同NPOは現在、正会員、賛助会員、ボランティア会員など約200人によって構成されている。メンバーは地元住民をはじめNPOの活動を通して移住イメージ 4してきた人たち、県外また大都市圏の移住希望者などで、デザイナー、大工、商店主、芸術家、建築士、不動産事業者、大学教授、学生、主婦など幅広い人材が集まっている。
 その歩みは2007年、一人の主婦の豊田雅子(とよたまさこ)さん(写真右)が、「個性ある伝統的な空き家を自らの手で再生する」と決意したことに端を発する。
 以後、彼女の思いに賛同する仲間たちといっしょになって解体の危機に瀕していた山手や旧市街地などの空き家をDIY(Do it yourself= 自身らの手で日曜大工のようにして行なうこと)で次々と再生。2008年にNPO化し、2009年には尾道市から「空き家バンク」運営の委託を受け、それまで「鳴かず飛ばず」だった移住定住者数を飛躍的に増大させる。
 これまで、同プロジェクトが空き家バンクによって再生した物件および独自に手がけた再生物件のトータルは110軒を超えている。また、2012年12月からはゲストハウス「あなごのねどこ」を、今年2017年春には2つめのゲストハウス「みはらし亭」の営業を開始、補助金に頼らないNPO経営を実現している。


このまちを守りたい
~ 100人いれば100軒すくえる ~

 代表理事の豊田雅子さんは尾道市出身。大学進学で大阪にでて、学生時代からバックパッカーとして海外旅行によく出かけていたそうだ。卒業後は大阪で大手旅行会社に就職し、7、8年海外添乗の業務につき100回以上の渡航を経験した。
尾道は戦災を被っていないから古くからのまちなみがこわれていない。ただ、駅前の風景がどんどん変わっていって…」と振り返る豊田さん。
 海外、特に欧州の都市などには、めぼしい観光資源がなくても、その歴史的・伝統的な調和のとれた個性的な美しいまちなみをめざし、多くの観光客が訪れている。条例などによって建物の外観保全を義務づけている都市も多い。 
イメージ 5 一方、日本はどこの都市でも同じようなマンション、同じような店舗、同じようなビルが建ちならび、どこに行っても同じような風景が展開され、そのまち独自の魅力が失われつつある。
 海外添乗業務の経験を通しふるさとの良さを再認識するとともに尾道の魅力が失われることに危機感をもった豊田さんは、1軒でもいいから尾道らしさを守りたいと考え、尾道と大阪を行ったり来たりしはじめたという。
「6年たったころ、昭和初期に建てられたすてきな建物に出会ったんです。所有者のかたがこわすと言うので、ちょっと待ってくださいと言って買い取りました」
 結婚と出産を間にはさみUターンを果たした豊田さんが6年間の空き家探しの末に見つけたのが「ガウディハウス」(写真左)だった。
 「旧和泉家別邸」として1932年(昭和8年)に建てられたこの建物は随所にみられる装飾などから、ガウディハウスと以前から呼ばれていたそうだ。駅裏(北側)の斜面地に建つ10坪の洋館つき住宅で25年間空き家状態だった物件で、これを自ら再生しようと購入したという。
 一人の主婦が再生を決意して個人で物件を購入するという行動は、まわりの人々の心を動かす。
「地元の友人や私と同じようにUターンしてきた人たちが一緒にやろうと言ってくれました。また、ちょうどこのころ移住してきた人たちがカフェをはじめたり、空き家をたとえばアート活動に使いたいというように、空き家を使って自分のやりたいことをやろうという若者があらわれはじめていた時期で、そうした人たちも協力を申し出てくれた。大学教授や尾道と関わりのある建築家なども賛同してくれました」
 豊田さんの思いに共感する仲間たちの協力を得てガウデイメージ 6ィのハウスの再生は行なわれていく。不要になった家具の片づけや掃除だけで2か月もかかったという。
 人が集まることができる状態にすると、みんなで活動を活発化させようと会合を開いたり、空き家再生のための活動拠点として使用しはじめた。 
 このようにして2007年7月、任意団体「尾道空き家再生プロジェクト」の活動はスタートする。
 ガウディハウスを皮切りに、数々の物件の再生を手がけていくわけだが、再生のようすをブログなどで発信したところ、全国から興味をもった20代、30代の移住希望者などが多数連絡してきた。
 豊田さんは当時「100人が移住してくれば100軒の空き家がすくえる」と思ったと言う。こうして賛同者をふやしながら200人もの会員を擁する現在のNPOの姿へと至るのである。
 NPO法人尾道空き家再生プロジェクトの事務所は現在、「北村洋品店」(写真右上)2階奥に置かれている。北村洋品店も同NPOが再生を手がけ2009年に2月にオープンさせたものだ。
 1階は子連れママの井戸端サロン、2階は子供服のリサイクルショップになっている。駅裏の旧市街地の平地の20年以上空き家になっていた物件を1年以上かけて、市民100人以上が参加したワークショップによりリノベーション。NPOに所属する職人がノコギリの使い方を教えて母子で挑戦してもらったり、壁塗り体験のワークショップなどを開催して主婦や子ども、アーティスト、NPOのメンバーなどみんなが一緒になってオープンさせた。
「子育てお母さんたちの生活情報交流の場…今日は編み物などをしていらっしゃいますね。もちろん小さな子どももくるし、旅行者もくる。また、事務所には移住相談の人などもきます。まさに井戸端会議のサロンとして、おたがいに助け合えるような場所になればいいなと思ってつくったんです」(豊田さん)
 北村洋品店の再生イメージ 7を手がけているときに情報を入手し再生させたのが「三軒家アパートメント」(写真左)で、北村洋品店の3軒南側にある。風呂なし、トイレ共同という昭和の古いアパートをものづくりの発信拠点にしたもので、10部屋それぞれに工房、事務所、ギャラリー、カフェなどが入居、入居者自身がDIYで自由な空間をつくりだしている。入居を目的とする人ではなく創作活動をする人に活用してもらうことを目的に再生したものだ。北村洋品店とともに、かつての駅裏(旧市街地)エリアのにぎわいを取り戻したいとの思いで、新たな人のつながりをつくる場所をコンセプトにしている。イメージ 8
 再生事例をもう一つ紹介する。2012年1月に完成した「坂の家」(写真右)は、空き家を探している人や坂暮らしを検討している人に向けた坂暮らし体験ハウス。移住が決まったものの空き家を再生中で、まだそこに住めない人の仮暮らしハウスとしても利用できるように用意した。
「人に近い生活風景をもつヒューマンスケールのまち、それこそが尾道の魅力」(豊田さん)を体験してもらいたいと、駅裏斜面地の洋風長屋を再生したレンタルハウスで、利用料金は大人1人1週間1万5,000円、NPO会員は1万円。ただし、単なる観光での利用は控えてもらっている。


改修アドバイスから
現場作業までサポート

― 柔軟な対応で移住者ふやす ―

 同NPOの活動を通じて移住してきた人のトータルは、これまでに110軒あまり。2009年10月に市から委託を受けて運営している空き家バンク制度を通しての移住が約90軒、NPO単独の活動を通じての移住は20数軒。イメージ 9
 尾道市(*右写真は尾道市役所)の空き家バンクは1998年にスタートしたが、それまでは年に1、2軒程度の移住者獲得にとどまっていたという。  
 NPOが委託を受けてから現在までの期間は約8年間であり、空き家バンクを通しての移住獲得数は平均すると年11軒を超す計算になる。つまり、桁違いの数字を記録するようになっているわけだ。
「私たちが活動しはじめたころ、もちろん委託を受ける前ですが、100人くらいから移住のために空き家を探しているという相談があったんです」と豊田さん。自身が空き家を探して歩いていたので、当時は所有者の情報などを含めて口コミで教えてあげたりしていたという。そうした状況にあったので「何とかつなげてあげたい」と市からの依頼を受けた。
イメージ 10 当初、委託を受けたのは山手地区で、2013年からは国道2号線沿いおよび市道本通線などクルマの通り抜けができる道に面した平野地域が加わった。制度の仕組みは他の市町村で行なわれている空き家バンクと同様、NPOは契約業務にはタッチしておらず、物件所有者と希望者とのマッチングがメイン業務となっている。
 マッチングの流れの概略をみてみる。希望者はNPOに電話連絡後、事務所を訪れて閲覧申込書を記入する。記入した後、事務所に置かれている台帳やパソコンでの物件の閲覧を行なう。
 NPOはこの時点で「パスワード」を発行するので、2回目以降は自宅のコンピュータから市とNPOが共有しているWebで空き家情報の閲覧が可能となる。希望物件がみつかった場合、物件所有者に連絡し現地の内部見学を行ない、所有者(あるいは不動産業者を交えて)と希望者が当人どうしで契約を結ぶ。
 ではなぜ、同NPOが運営するようになってから桁違いの数字を記録するようになったのだろうか?
 それまで、登録されていた物件のリストはエクセル表だけだったと言うが、個別の物件情報を詳細につくりこんだ。
「写真、間取り、地図などを盛り込むとともに、5点満点で空き家のレベルを評価しています。掃除をすれば住めるというのは5点、廃屋に近いレベルは1点とか」(豊田さん)というように移住者の立場にたって情報の充実を図った。イメージ 11
 なお、相談者にはエリアの状況から説明をはじめるそうだ。毎月1回の「空き家相談会」もはじめた。移住希望者は不動産事業者また建築士などに無料で、移住や改修また契約に関しての相談を行なうことができる。
 そして、移住をふやした最大の要因は土日祝日も含めて柔軟な対応を行なっていることだと言う。
「移住したいという人は、仕事の休みの日に相談にくるケースが圧倒的に多いのです。現在は900人ほどの閲覧申込者がいて、新規者も毎月10人のペースでふえています」(豊田さん)。
 市からの空き家バンク運営受託は、移住者また物件所有者からの改修また改修支援の依頼を加速させた。
 そこでNPOは、2012年から新たに「おのみち暮らしサポートメニュー」として、新規移住者また所有者のハードルとなっていた空き家の改修や管理・運用を代行するサービスを開始した。
イメージ 12 新規移住者をサポートするメニューは、NPOスタッフが改修プランづくりや再生手法のアドバイスを無料で行なう「改修アドバイス」のほか、有料メニューとして建築士などが空き家の構造チェックなどを行なう「専門家の派遣」、NPOスタッフまたボランティアスタッフが片づけやゴミだしを手伝う「空き家片付け隊の派遣」、「改修作業補助」、「改修現場監督」、工具など個人がもっていない「道具の貸し出し」などである。
 空き家所有者へのサポートは、空き家の活用はしたいけれども運営・管理がむずかしいという所有者に代わりNPOが空き家の改修・管理を行なう「物件管理代行型」事業でのサポート、またNPOが所有者から物件を賃貸し、改修して物件を貸し出す「サブリース型」事業でのサポートである。


プロセスをイベントにする
~ まちへの愛着はぐくむ ~
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 尾道空き家再生プロジェクトの会員は20代、30代が中心になっている。会員は地元住民また同NPOの活動を通じて移住してきた人および移住希望者などで、日ごろの活動に積極参加する正会員のほかに、あまり参加はできないが賛同・支援する賛助会員、また「労力だけなら提供できる」という学生や主婦を対象にした年会費無料のボランティア会員から構成されている。会員には同NPOが実施する各種イベントの案内などを送っているが「案内する印刷物などは若者向けにデザインしています」と言う。すなわち「若者」を移住定住のターゲットに据えているのだ。
 その理由は「これからのまちの魅力づくりをいっしょになって考えてくれる人材として、若者に期待しているから」(豊田さん)だ。
 そうした活動の一つが「尾道建築塾」。
 尾道建築塾には「たてもの探訪編」と「現場再生編」の2つがある。
 たてもの探訪編は通称「まちあるき」と呼ばれ、NPO会員の大学教授や建築士などが講師になり、一般参加者とともに尾道のまちなみやユニークな建物を訪問見学する。建物オーナーの話を聞いたりもできる。現場再生編は、空き家再生の実際の作業を体験するプログラムで、移住を希望する若い夫婦などの参加も多く、親子で参加できるプログラムを盛り込んだ回もある。
 近年は「空き家再生!夏合宿」や「春合宿!」というように短期集中で「合宿」して空き家再生プロセスを体験してもらう企画も実施している。普段はなかなか参加できない人や学生などが参加の中心だ。たとえば一昨年行なわれた「尾道空き家再生!夏合宿 Summer School 2015」は6泊7日の合宿で別荘建築「みはらし亭」の床貼り、壁塗り、タイル貼りなどに取り組んだ。
 また、再生費用支援の機能ももつ「現地で空き家再生蚤の市」は、傾斜地物件などの家財道具を現場での蚤の市開催によってさばくイベントイメージ 14。急坂からの運びだしの負担が大きい再生側の労力軽減も果たしている。
 空き家に関する情報交換を行なうイベント「尾道空き家談議」(写真左)は、情報交換とともに地元でさまざまな活動を行なっている各分野の人と移住希望者などを緩やかに結びつけていくことを目的に開催しているもの。まちづくりに関わるゲストなどを招き、参加者どうしが交流を深めている。
 さらに、毎年3月には「尾道まちづくり発表会」を開催している。市民に尾道のまちづくりと空き家問題を理解してもらうためのシンポジウムで、空き家を再生した人、大学生、建築士など毎回さまざまな顔ぶれが登壇する。市民はもとより行政やまちづくり団体など多数が聴講している。
イメージ 15 なお、同NPOの活動は空き家再生だけにとどまっていない。
「空き地再生ピクニック」(写真左)と呼んでいるのがそれで、作業が困難なために手入れされていない空き地に有志で出向き掃除や草取りなどを行ない、小休止にはピクニック気分でお茶を飲んだり食事をしたりしながら空き地のロケーションを楽しむ。地域コミュニティのための手づくり公園や菜園、もぎ取り果樹園、花畑など空き地の将来的な活用方法も考える計画だという。
 以上のように尾道空き家再生プロジェクトは幅広いさまざまな活動を行なっているのだが、これらの活動に共通して見えてくるのは「プロセスを共有する」という姿勢だ。
 こうしたイベントをきっかけに尾道を訪れた人は、まちの魅力を知り、空き家再生作業を行ない、まちの今後について考える…、これらを経験した若者たちの心に、もちろんNPO会員も含めてだが、尾道への愛着が生まれないわけはない。
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そしてゲストハウス経営に
 ~ 次への準備も着々と ~

「移住してきた人たちは20代、30代が中心で、リタイアしてからという人はほとんどいません。東京都心や名古屋、大阪など県外からの移住者が半分、県内は福山や三原からなどさまざまです」と話す豊田さん。
 NPO法人尾道空き家再生プロジェクトの総収入は、ゲストハウス収入、物件の家賃収入、市からの空き家バンク運営受託金、会費また寄付金、建築塾などのイベント収入などで現在4,000万円ほど、なかでもゲストハウスからの収入はNPO経営を安定させる大きな柱になっている。 
 2012年12月に営業開始したゲストハウス「あなごのねどこ」(写真上および下)は、宿泊料収入によりNPOの経営を安定させるとともに若者の雇用をつくりだした。
尾道駅から徒歩約10分、商店街のなかほどにある「あなごのねどこ」には通りに面して「あくびカフェー」という喫茶店も併設した。奥行きが40mもあイメージ 17る細長いこの物件はNPOのメンバーが中心になって自分たちで再生したもの。細長いので「うなぎの寝床」ならぬ尾道の名産である「あなごのねどこ」と命名した。
ちなみに、ゲストハウスとは素泊まりの宿のことで、海外ではバックパッカー(リュック1つで格安な宿を泊まりながら長期的に旅をする人)がよく利用する宿の形態。
 今春オープンさせたゲストハウス「みはらし亭」(写真左下)も「あなごのねどこ」と同様NPOの安定経営のため、そして新規雇用の場として機能している。
 みはらし亭は尾道のまちを見下ろす風光明媚な高台に立地し、千光寺山ロープウェイの索道が屋根のすぐ脇を通っている。もともと尾道三山の一つである千光寺の境内に大正時代に建てられた別荘で、茶園文化を代表する建築物だという。昭和40年代にイメージ 18「みはらし亭」として旅館営業をはじめたが、営業を停止して長い年月が経っていたものをNPOが再生し、カフェを併設したゲストハウスとしてオープンさせた。
 2つのゲストハウスはともに1人1泊2,800円とリーズナブルな料金設定である。
尾道は通過型観光の側面が強いんです。数時間あるいは1日だけの滞在ではまちの良さがなかなかわからない。だから、あえて若い人が長く連泊できるようにゲストハウスにしました」(豊田さん)
 2つのゲストハウスまたあくびカフェーには3人のNPOスタッフを担当者として置いているほか、専属のアルバイトやパートなど20数人を雇用している。
 そしていままた、大型物件の再生が進行中だ。駅裏のもと旅館だった建物の大広間は50畳ほど。「この空間をイベント会場などスペース貸しすることを検討しています」と言う豊田さん、次なる展開への準備も着々と進められている。


日常のつながりこそがカギ
~ 夢を叶える環境づくりへ ~

 豊田さんへの取材は、予定時間を大きく超えてのロングインタビューになった。
しかし、どうしても「若者の移住定住」を成功へと導いている核心にふれたいと思い、多忙を極める豊田さんにさらに話を聞いた。以下にそのやりとりをダイレクトに記す。
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 ―― 多くの地方都市が若者に移り住んできてほしいと頭をひねっているわけですが、豊田さんの取組みが抜きんでて成果を上げているのはなぜだと考えていらっしゃいますか?
 豊田 すべての活動を一生懸命にやってきただけで、あらためてなぜ?と聞かれると考えてしまいますね。
 あえて言えば主婦目線と言うのかな…、NP
Oの事業としてやっていることではないんですが、普段からあたりまえに応援をしています。たとえばここ(北村洋品店NPO事務所)では、移住して起業した人たちの商品を使っています。パン屋さんをやっている人もいますからそこからパンを買う。コーヒーに使っている豆も移住してきた人が焙煎したものでそこから仕入れたものです。あと、たとえば仲間になりそうな人を紹介したり、起業したいという人には地元のキーマンを紹介したりとか。そのほか日々の交流も親密にしています。パーティをいっしょにやったり、お花見をいっしょにやったりとか、さまざま細かい小さな交流を積み重ねています。お互いに応援しあっているんですね。
 ―― なるほど、日々のつながりを大切にしているということですね。もしかしたら、そうしたことが移住定住者にとってはいちばん大切なことなのかもしれない。移住を決断する際の最大のキーは、まさにそれなのかもしれませんね。
 豊田 尾道に移り住んで飲食店をやっている人もいますし、映画館をやっている人もいます。絵やインスタレーションなど現代アート関係、また、陶芸や木工、ガラスなどものづくりに携わる人なども多い。この地で起業して夢を叶えようという若者が多いんです。
 ―― そうした人たちを日々のつながりのなかで応援していく…
 豊田 人が人を呼ぶと思っています。たとえばアート関係の若い人たちのつながりは強くて、尾道はいいところだから来いよというように声をかけたり…。最初に移り住んだ人たちがいきいきと暮らしているので、それを見た人たちがまた移り住んでくるようになりました。今後もそうなっていってほしいと思っていて、だから私たちは、日常のコミュニケーションもふくめてですが、これからも若者たちが夢にチャレンジしやすいような環境づくりに取り組んでイメージ 19いきたいと考えています。
               *
 坂と路地がどこにもない独自のアイデンティティを織りなしている尾道。このまちへの誇りを胸に、尾道空き家再生プロジェクトは今日も活動を続けている。

                                                               
                      猫の多い尾道は、猫のまちと呼ばれることもあるとか 

                        取材2017年2月28日
                                  写真/宇部芳彦、NPO法人尾道空き家再生プロジェクト
                                                                                         文・宇部芳彦(久慈市地域おこし協力隊)