さあ 碧の海へ

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    さあ 碧の海へ 

                                                                    2017.7.4
                 
 岩手県久慈市小袖海岸では「北限の海女の素潜り実演」が7月1日から開始されています。9月末までの土日祝日・1日3回行われる実演、透きとおる碧(あお)の海と彼女たちが潜る流麗な姿は、多くの人を惹きつけてやみません。海のないまちからきた藤織ジュン(ふじおりじゅん)さんと前田比奈(まえだひな)さんも、笑顔と涙で小袖の海に潜っています。

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輝きを切り裂き 海の中へ

 涼やかな風が吹きわたる小袖海女センターの展望台、ここは地球が丸いことを実感させてくれる場所。弧を描く水平線がかなたに広がり、足元には太陽を反射してキラキラと眩しく光る海。その輝きを切り裂くようにして、碧(あお)の海へと女性たちがするすると、まるで吸い込まれるかのようによどみない姿で潜っていく。
 しばしの静寂を破り、顔を出したその手に掲げられているのは透きとおる海からの恵み。見つめていた人々の吐く息の音、にわかにわき起こる拍手…。
 北限の海女の素潜り実演は毎年7月はじめから9月末までの土日祝日・1日3回、このような風景のなか展開されています。
イメージ 3 海女たちが手にしているのは手のひら大のウニ、海から上がってきた海女は、いまそこでとったばかりのウニの殻を剥きます。殻を剥く手さばきを見逃すまいと、まわりには黒山の人だかり。身をあらわにした殻ごとのウニは1個2個と、人々の手にわたっていきます。
 なお、グループなどの見学予約が入れば、素潜り実演は平日でも行なわれています。
 8月の第1イメージ 4日曜日には、海女たちと地域が一体となって繰り広げる「北限の海女フェスティバル」も開催されます。海女フェスティバルの日にも、もちろん素潜り実演はプログラムに組み込まれていて、毎年駆けつけてくる常連ファンの姿も見受けられます。
 NHK連続テレビ小説あまちゃん」が2013年に放送されてからは、遠方からの観光客が急増し、「じぇじぇじぇ!」はもちろん、小袖海岸には日本各地の言葉が飛び交うようになりました。
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都会の女性が海女に出会う
~ 若い2人のライフストーリー ~

 「北限の海女」の言葉の由来をご存じでしょうか?
 北三陸あまちゃん」観光推進協議会のホームページによると、北限の海女とは「久慈市小袖海岸で活動する海女たち」の総称のこと。1959年(昭和34年)放送のラジオドラマ「北限の海女」で当地の海女は有名になりました。
 名づけ親は、このドラマの脚本を書いた故・水木洋子さん、以来、久慈市また小袖の海女は北限の海女と呼ばれるようになったといいます。
 水木さんは「ひめゆりの塔」「裸の大将」「浮雲」など数々の名作を生み出した人。「北限の海女」では「都会の女性と小袖の海女の出会いと生き方」が描かれたのだそうです。イメージ 6
 さて、小袖の海で素潜り実演を行なっている海女のうちの2人、藤織ジュンさんと前田比奈さんは久慈市の地域おこし協力隊員です。久慈市役所の観光交流課に籍を置き、地域おこし協力隊として「北限の海女のPR」を主力ミッションに活動しています。
 全国的に海女の後継者不足が課題になっているということですが、藤織さんは現在25歳で東京都北区の出身、前田さんも25歳、千葉県茂原市の出身。2人とも若く、海のないまちの出身です。
 藤織さん(=写真左下)は一昨年(2015年)地域おこし協力隊員になり、素潜り実演に参加して今回2017年が3シーズンめ、前田さんは昨年(2016年)協力隊になったので今回が2シーズンめの潜りです。
イメージ 7 それぞれの「活動スタンス」と「将来ビジョン」を書き出してみましょう。
 藤織さんはプロの俳優として活動していましたが、劇団の久慈公演をきっかけにして、久慈市の地域おこし協力隊員になりました。
 藤織さんの協力隊員としての活動は、「海女」を中心に「あらゆる観光資源」を拾い上げ、久慈市また北三陸へ「観光客を誘致する」というコンセプトで貫かれています。
 たとえば昨年は、真冬!に盛岡駅前広場で通りすがりの不特定多数に向けて久慈市山形町で行なわれている「闘牛大会のPR」を行なっています。そのいでたちは「海女のかすりハンテン姿」、マイナス気温だったので寒さは想像を絶するものだったと思いますが笑顔を絶やさずにマイクを握ってアナウンスしました。現在でも、時機をとらえて東京など県内外各地にでかけ「北三陸へぜひきてください」と一生懸命に訴えています。
 藤織さんは、協力隊の任期終了後も久慈で暮らしていくと話しています。
「私は久慈で起業する予定です。仕事内容はたとえば、久慈また海女の関連グッズ開発と販売。また、私は俳優でしたのでたとえば久慈のイメージ 8観光誘客のためのイベント出演や司会など自分を商材にする事業も。さらにはイベントプロデュースなども手がける会社にしたい思っています。一言でいえば、観光プロダクションと言うのかな? もちろん北限の海女は私にとって大切なもの。それはずっと変わりません」(藤織さん)
 一方、前田さん(=写真右)に協力隊卒業後の身の振りかたを聞くと「海女になります」とストレートに返してきます。
 協力隊の試験のときに、生まれて初めて久慈市を訪れた前田さん。2回めの久慈訪問は採用が決まって「移住してきたとき」でした。「あまちゃん」を見て、海女になりたいという一心で久慈にやってきたのです。
 久慈の海女は観光客に潜る姿を見せて収入を得る「観光海女」の側面が強いのですイメージ 9が、「漁」も収入源とする「商業海女」の活動もして1年をずっと海女として過ごしたい、当初、彼女はそう言って目を輝かせていました。しかし、久慈の海は冷たくてシーズンオフの期間に潜ることは、ほぼ不可能なのです。
 昨年秋からの「素潜り実演」オフの期間中、前田さんは全国各地の海女漁のあり方を調べたり、海女文化を研究したり、潜りの技術を高めるため海水の暖かい「鳥羽」の海女のもとで実習させてもらったりしました。
「勉強すればするほど、海女という職業は課題だらけだということがわかってきて…。でも、たとえば冬の間は海女文化を伝えて収入を得たり、夏にとったものを加イメージ 10工して販売したり、どうしてもむずかしければオフのあいだは毎年決まって勤められる会社を探すとか…。これまで以上に真剣に勉強して、夢を叶える方法を絶対に見つけだします」(前田さん)




種市高校の潜水実習プールで今年もシーズン前に特訓した藤織さん(右)と前田さん(左)



夢を描く人が集まる場所
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 生来、運動神経がいいのか、あるいは俳優として培ってきたプロ魂が支えになっているのか、潜りに関しての弱音を藤織さんはいっさい口にしません。
 海面に浮かびあがったときに見せる顔には、いつも笑みをたたえています。
 久慈にくる前は泳ぐことも潜ることもできなかったという前田さん、昨年の初のシーズンでは特訓の成果を披露し大きな拍手を受けて感激の涙イメージ 12を浮かべていました。
 こうした2人が、伝統を大切に守り続けてきた地元の海女たちと一緒になって今年も潜っています。見た人が「何か」を感じないはずがありません。
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 さあ、輝く北の海にでかけましょう。華麗な技を誇る海女も若い新人もさまざまな未来を見つめています、あなたと同じように。
 小袖海岸は夢を描く人たちが集まる素敵な場所です。




          取材2017年6月27・28日、7月1日。文・宇部芳彦