夏の終わりに ー 時間そして記憶とは ー

Bird’s- eye viewイメージ 5
 
    これまでのようなケーススタディレポートに加えて、意の趣くままに綴ったエッセイも随時、掲載していきます。
 


Essay 
夏の終わりに
  ― 時間そして記憶とは ―
                      2018.8.30
                                <文・写真 宇部芳彦>


おいてきた何かを
見に行こう

  もしかしたら、いまが人生でいちばん長く原稿を書いていない時期なのかもしれない。
 今年6月10日から今日までの2か月以上、取材記事やストーリー原稿をつくっていない。
  大学を卒業して東京の出版社に11年間勤めたあと、フリーライターをやったり別の出版社に勤務したり…、今年6月10日までの3年間は地域おこし協力隊として働いた。
 出版社では新たな月刊誌を立ち上げたし、単行本をつくったりした。協力隊員としての仕事は、広報紙の取材、単行本づくり(記念誌の企画・編集)、集落事業のコンセプトプランニング(青写真づくり)などだった。
  つまり、取材・原稿書き・編集、そして事業プランニングなど編集者の仕事を学校卒業以来、一貫して20年以上イメージ 3ずっと続けてきたということになる。           
  想像してみてほしい。
 月刊誌は締め切りに追いまくられる毎日だ。毎月の製作サイクルは4週間ではなく3週間に設定していた。印刷に要する日数と刷り上がってから本屋に並ぶまでの日数を考えると、それでもギリギリ間に合うかどうか。
「原稿に向き合わない日はなかった」と言っても「嘘だ」と言う人はいないだろう。 
 もっとも、校了した次の日は文字なんか見たくもなかったし、実際、見ないことも多かったけれど。
  一方、単行本は企画の立ち上げから本として完成するまでの期間はおおむね半年から1年くらい。完成までの期間は長いが、だからといって3日も4日も放っておけば進行が遅れて、後半は泣きたいくらいタイトなスケジュールになる。自らが原稿を書かない場合でも、執筆者のところに行って催促しなければならない。                
  そして、2か月以上の「原稿書き空白期間」となったいま、心が「なんでもいいから文字を書け」と命令してきた。だから、思いつくままこの文章をタイプしている。
  原稿を書くこと、それは僕の人生にとっては食事と同じように、生きるために必要不可欠なことなのかもしれない。
  たまたイメージ 1まこれを読んでくれている人の人生にも必要不可欠な何かがあり、それぞれが大切なものを胸の奥にしまっている…。
  夏の終わりの夕日を眺めていると、そんな思いが淋しさといっしょになってわきあがってくる。

置いてきた何かを見に行こう   
                                                   


不思議なお話をイメージ 2
    
 校庭のブランコを漕いでいる小学生の僕、ヒースロー空港で入国審査を受けている27歳の僕、ロサンゼルスのバスの中で黒人運転手と会話している30歳の僕、神保町の交差点で信号待ちをしている42歳の僕…。
 どの僕も、いま、その場所に、いる。 
 アインシュタイン相対性理論で「過去、現在、未来は同時に存在している」と言った。おとぎ話のような不思議な話に、僕はいまなんとも表現のしようのないあたたかさを感じている。
 


 時間とはなんなのだろうか。現在とは、過去とは、未来とは、記憶とは……。                
 昔、よくターンテーブルに載せてイメージ 4いたレコードアルバムがあった。世界への憧れが大きく膨らんでいた18歳のころだ。
 まだ見ぬ未来への不安や恐れは、少しもなかった。
「Only Time Will Tell」という4分45秒の曲がお気に入りだった。



                                                      <2018年8月30日  文・写真 宇部芳彦 >